『パラダイム(1987年) 』 ~ジョン・カーペンターが奏でる戦慄の旋律と恐怖の黙示録② (量子力学編)~

「黙示録三部作」の二作目と言われている『パラダイム(1987) 』について書きます。ホークスの西部劇三部作同様、物体Xと同じ話を換骨奪胎した物語とも言えます。

閉鎖された南極の空間は閉鎖された教会の地下室に、

宇宙人は闇のプリンス様である悪魔に(この映画の原題は“Prince of Darkness”です)、

人に同化する血液は謎の緑の液体に換わりますが、だいたい同じような話です。

ただこの映画が物体Xと根本的に異なる点は量子力学の理論より発想された物語だという点です。脚本は『ニューヨーク1997(1981) 』以来の御大自身(クレジットは「マーティン・クォーターマス」名義で『原子人間(1955)』等のクォーターマス博士シリーズからとった名前)ですのでオリジナルの映画といっていいでしょう。

前作の『ゴースト・ハンターズ(1986)』の興行的失敗(傑作ですけどね)によって脚本から音楽までなんでも一人でやってしまう『ハロウィン(1978)』の頃の個人映画の世界に戻ってきた感じです。

この映画(と次の『ゼイ・リブ(1988)』これも傑作です)はアライブ・フィルムズというマイナープロダクションでジョンカペが『市民ケーン(1941)』のオーソン・ウェルズのごとく完全に自由な創造上の権利を与えられて製作された集大成的な映画です(300万ドルという超低予算映画である制限を除いてはですけどね)。


量子力学とホラー

今日ではクリストファー・ノーランやジム・ジャームシュのような意識高い系(?)の映画作家の映画から、ラノベや深夜アニメやエロゲーといった様々なジャンルに至るまで、量子力学シュレーディンガーの猫に言及する厨二病的SF作品は枚挙に暇がありませんが、ホラーでそれをやってしまったのはおそらくこの『パラダイム(1987) 』 が最初なのではないかと思います。

元々量子力学の世界はスプーキーで常識の通用しないオカルト的とも言われかねない世界ですのでホラー映画のマクガフィンとしては申し分のない題材です。

というわけでこの映画の主人公は大学で理論物理学を学ぶナンパな学生です(主人公なのに大して活躍しませんが)。主人公がナンパするヒロインは応用物理学者で例によって例の猫の話をしたりします。

二人は大学で何かよくわからない研究をしているアジア系の怪しげな物理学教授(『ゴースト・ハンターズ(1986)』や『ラストエンペラー  (1987)』のヴィクター・ウォン)のゼミ生で、教授の要請によりこれまた怪しげな司祭(『ハロウィン(1978)』や『ニューヨーク1997(1981) 』のドナルド・プレザンス)の依頼により、16世紀に建てられた怪しげな教会の地下に眠る二千年封印されてきた悪魔の棺の調査を行うことになるというのが物語の発端です。

どうもよくある怪しげなB級ホラー映画の筋書きなのでこれのどこが量子力学?という感じですがこの封印されている悪魔というのが理論物理学によって構想されたというのがこの映画のユニークなところです。ジョンカペは以下のように語っています。

物質のあらゆる素粒子にはその鏡像のような反物質が存在するのだから、反=神(アンチゴッド)、つまり完全な悪であるような、神の鏡像を作ったならすごいんじゃないかと思った。この前提から出発して様々なアイデアを出していったんだ。*1

つまり、鏡のなかからディラック的な神の反物質(鏡像)である悪魔(二千年前に封印されていた)が侵略してくるというのが大筋の話です。

そしてこの映画の悪魔は鏡の向こう側から量子テレポーテーションによって人間のサイコキネシス的な遠隔操作を試みます。量子は物質のいたるところに存在しますからね。やろうと思えばなんだってできちゃいます。

ただこの悪魔の力は最初はまだ影響力が少ないため遠隔操作が可能なのは蟻のような小さな昆虫や監視者としての町の浮浪者達、あるいは緑の液体を直接浴びせた人間に限定されます。

悪魔の手先になる浮浪者達(アリス・クーパー含む)ですが、これが普段は立ってるだけの描写なのに十分に不気味で怖いのがこの映画の面白いところです(中盤からは襲ってきますけどね)。

彼等が『要塞警察』みたいに横一線に並んで例のジョンカペ節の音楽が流れるとさらに異様な雰囲気を醸し出します(ちなみにこの映画ミュージカルでもないのに音楽が鳴りっぱなしです。特に後半からはノンストップで画面の緊張感を音楽が支えます)。

緑の液体に関しては物体XかAIDSの如く口移しで物理的に直接感染していきます。この感染した人がやっぱり立ってるだけなんですけど不気味で怖いです。

人間が立ったまま瞬きしないで凝視する。これだけで立派なホラー映画を成立させてしまうのはジョンカペの映画的発明です。ロベルト・ロッセリーニが『イタリア旅行(1954)』において男と女と一台の車とカメラがあれば映画が出来ると言われたのと同じです。決して低予算の苦肉の策などと侮ってはなりません。ここには紛れもなく映画が発明されていく瞬間が存在しているのです。特にパナビジョンの1対2.35のワイドスクリーンに捉えられた教会の廊下の縦の構図の中に最初の犠牲者である女性放射線学者の影が急にカメラ前を横切って現れ(これぞジョンカペ映画!)、180度の切り返しでただ立っているだけのシーンは僕のお気に入りです。 


タキオンに基ずく未来からの警告メッセージ

もう一つ重要なのが量子力学とも特殊相対性理論ともつかない未来の世界から警告のメッセージが送られてくることです。これは未来から夢と脳を受像装置として光よりも早いタキオンを使用して現在(未来から見たら過去ですね)の登場人物達に送られてきます。

これは夢ではない。
夢ではない。
君の脳を受像機がわりに送信している。
覚醒した状態の時は送信することができない。
君はこれを夢として受信する。
これを送信しているのは千九百・・・

君は目撃しつつある事件を食い止めるのだ。
我々はまだ覚醒時に送信する技術を持たない。

この未来からの映像メッセージユニークな発想でつくられています。まるでホームビデオで撮ったかのようなノイジーな映像です。これは決して低予算の苦肉の策などと侮ってはなりません。ここには紛れもなく映画が発明されていく瞬間が存在しているのです(クドい?)。

この映像メッセージに登場する警告の主がこの映画のオチになります。

果たして救世主なのか悪魔なのか?(世界の終わりを描いた黙示録なので全滅エンドなんでしょうけど)。

恐怖の黙示録は第三部へ続きます。

 

 

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*1:恐怖の詩学 ジョン・カーペンター(2004年 フィルムアート社)