『レモ/第一の挑戦(1985年)』~ ガイ・ハミルトンは永遠に ~

そのキャリアの終盤に作られた『レモ/第一の挑戦』という傑作の存在にも関わらず、その作家性についてあまり語られることがないのがガイ・ハミルトンの奇特なところではないでしょうか。純粋娯楽映画に作家の刻印などは邪魔でしかありませんので、むしろ匿名性に徹していることこそがプロフェッショナル職人監督の刻印なのかもしれません。

特に007シリーズのようなプロデューサー主体ともいえるA級娯楽大作に関しては監督の手腕が発揮されればされるほどその作家性が透明で希薄に見られるように思えます。荒唐無稽ユーモアがあって丁寧に撮られたギミック溢れるアクション映画というのは『ゴールドフィンガー(1964)』や『ダイヤモンドは永遠に(1971)』や『死ぬのは奴らだ(1973)』や『黄金銃を持つ男(1974)』といった007シリーズに対する賛辞として語られることはあっても、ガイ・ハミルトンの個性として語られることは稀です。テレンス・ヤングのように真面目過ぎずルイス・ギルバートのようにふざけ過ぎず、ちょうど良い普通の面白さのせいであまり目立たない存在なのかもしれません。というか007シリーズというのがあまりにもビッグネーム過ぎて監督の個性に関しては特にあまり語られていないような気がします。シャーリー・バッシーを二回連続してOP音楽に起用するといった趣味的なことをやっていても、それがガイ・ハミルトンの趣味や個性によるものだとは誰も語りません。

さて、『レモ/第一の挑戦』に関してですがこの映画は007のようなA級の超大作ではなく、B級の低予算映画となっています。にも関わらず、その娯楽に徹したユーモア荒唐無稽アクションのアイデアの面白さに関しては007シリーズと同等以上で、やはりガイ・ハミルトン自身の才能と手腕が充分に発揮された快作となっています。

まずこの映画のストーリーを簡単に紹介しますと、フレッド・ウォード扮する主人公の警官が『007は二度死ぬ』的というか『ロボコップ』的というか、一旦殉職して名前と顔を変えられて『0課の女』的というか『必殺仕事人』的というか、政府の秘密機関(といっても主人公含めてたった三人しかいません。すごく地味ですね)の一員となって超法規的悪と戦うというバリバリにB級テイストな物語です(原作はリチャード・サピア、ウォーレン・マーフィーのベストセラー『デストロイヤー』)。

次にこの映画の面白いところは主人公がまず『ベスト・キッド』や『キル・ビル』やショー・ブラザーズの少林寺カンフー映画よろしく謎の韓国系東洋人の武術(「シナンジュ」という架空の暗殺術)の達人に弟子入りして、荒唐無稽ともいえる変な修業の結果、超人的な技を身につけるというところです。この武術の達人というのが昼メロ好きの偏屈なじいさんで、弾丸を素で避けたりできるトンデモ設定武術の達人となっております(『マトリックス』みたいにこれみよがしにスローモーションで避けたりしないで、普通にパッと避けちゃうのがなんとも人を喰った演出です)。この修業は最終的には速く走ると宙を浮いて水の上を移動できる程に上達してしまいます(この映画の中でお約束のように三回程繰り返されます)。この師弟二人の反発する掛け合いがバディ物のように楽しくて笑わせてくれます。

そしてこの映画が普通娯楽映画として機能しているのはこの前半部分のトンデモ設定武術の特訓が映画の伏線としてちゃんと後半アクションシーンオチとして活かされているからです。この伏線回収の自然な展開がガイ・ハミルトンの作家性の希薄さと匿名性に徹した娯楽映画としての透明な純粋さを際立たせます。この違和感のない自然さをユーモアを交えて丁寧に作り出しているのが職人監督腕の良さではないでしょうか。この映画一本だけでもやはりガイ・ハミルトンは才能ある稀有な映画作家であるということが分かります。そしてこの映画を見ると『レモ/第二の挑戦』を期待せざるを得ないのですが、そういった妄想も今年の4月20日に雨の日の涙のように永遠に消えてしまいました。現在では彼のように丁寧なアクションシーンのある娯楽映画を撮る後継者もほぼいなくなったと考えると少々寂しくなってしまいますが、彼の撮った作品は映画史の中に永遠に輝き続けることでしょう。Guy Hamilton Are Forever!