『キプールの記憶(2000年)』 ~ イスラエルの鬼才アモス・ギタイによるバーチャルでも拡張でもない実録リアリティ ~

特にイスラエルの映画に関して興味があるという訳ではないのですが(というか完全に未知の世界でありますが)、アリ・フォルマン以上にドキュメンタリーフィクションを行き来し、中東と欧州を股にかけて精力的に活躍しているイスラエルの鬼才アモス・ギタイに関して書いてみたいと思います。既に40年近くのキャリアがあって数々の映画賞を受賞しており欧州では巨匠の扱いですが、残念なことに日本では数本のDVDと映画祭等の特殊な機会でしか上映されていないようです。ではまず簡単な経歴から。

『キプールの記憶』に至る迄の経歴

アモス・ギタイは1950年イスラエルのハイファに建築家の父の元に生まれ、自身も大学で建築を学んでいましたが1973年の第四次中東戦争でのヘリコプターでの救助部隊での従軍を機に中断、この時期から母から貰った8ミリで従軍の様子や建築に関する実験的な短編を作りそのキャリアを始めます。

1977年からイスラエル国営テレビで20本ほどのドキュメンタリー作品を制作しますが、単なるプロパガンダではない非常に先鋭的で批評精神旺盛な作風(国境侵犯地域を軍事当局者の制止を遮って撮影する等)のせいで度々放映禁止を喰らい、自分の作品を守るため1982年から十年ほどフランスのパリに亡命して活動の拠点を移します。

パリ亡命期間にサミュエル・フラーベルナルド・ベルトルッチフィリップ・ガレルらの欧州映画人と知己を得ます(それぞれ『ゴーレム、さまよえる魂』に出演)。また撮影監督に名匠アンリ・アルカンを迎えて『エステル』、『ベルリン・エルサレム』、『ゴーレム』の「亡命三部作」と呼ばれる初のフィクションを制作。その後「ネオ・ファシズム三部作」等のドキュメンタリーをフランス、イギリス、イタリアのテレビ局で制作。

1993年にオスロ合意が結ばれたことにより、再びイスラエルに戻り、『キプールの記憶』のドキュメンタリー版である『戦争の記憶』、及びフィクションの『メモランダム』、『ヨム・ヨム』、『カドッシュ』の「イスラエル三部作」を制作。

2000年『カドッシュ』の興業的成功により念願の劇映画版の『キプールの記憶』の制作に至ります。 

 『キプールの記憶』

『キプールの記憶』(DVD題:キプール 勝利なき戦場)は1973年、当時23歳だったアモス・ギタイがヘリコプターでの負傷者を救出していた救援部隊での従軍時の記憶に基づく戦争映画です。当時九死に一生を得たトラウマ体験を20年以上経ってようやく見つめ直した事実に基づく実録作品ということになります。ただ戦争映画とはいっても敵との戦闘・戦争シーンはほとんどありません。劇映画としてはサミュエル・フラーの『最前線物語』並みに図々しい戦争映画ともいえますが、正直ヘリコプターが活躍する戦争映画で『地獄の黙示録』より面白い映画は何かと考えるとまずこの映画しか思い当たりません(DVDには『フルメタル・ジャケット』以来の衝撃!との宣伝文句があります)。つまり非常に衝撃的で面白い戦争映画なのではありますが、その面白さはいわゆるハリウッド的な勧善懲悪による派手な戦闘アクションではなくて、いきなり戦場の中に放り込まれるようなドキュメンタリーともフィクションともつかぬリアルさを体験する実録的な面白さとなっています。つまりバーチャルでも拡張でもない実録リアリティ映画です。優れた犯罪映画を撮るのに犯罪者になる必要がないように、リアルな戦争映画を撮るのに実際の戦争体験が必要な訳ではありませんが、アモス・ギタイにとってはこの戦争体験自体が映画監督になるきっかけとなっており、自身のキャリアにとってその題材をリアルな劇映画にすることは20年以上の時を要したとしても必然的な行為であっただろうと推測されます。さらに言えば全ての戦争体験者が優れた映画監督になり得るかというとそういう事も当然無いので、これは才能ある優れた映画監督が私小説的ともいえる個人的な出来事を題材にしてパーソナルな個人映画を撮ったと見る必要があるでしょう。

リカバリーのないワンショットシークエンス

さて、この映画に限らず長廻しを基本として一見ドキュメンタリーとも取れるリアルさを追求しつつ、建築を施工するかの如くの確固としたフォルムの劇映画を作り出しているのがアモス・ギタイの演出の特徴になります。長廻しを基本とする映画作家には、溝口健二テオ・アンゲロプロスマックス・オフュルス相米慎二や一時期の村川透等々、素晴らしい作家達が沢山いますが彼等同様に素晴らしい映画的瞬間を、さらにアモス・ギタイ特有のフォルムとしかいいようのない独自の演出によって実現しています。

特にこの映画に関しては長廻しは現実を私的に疑似体験させるための手段として効果的に使われます。自身の戦争体験を元にした非常に私小説的な一人称視点を持続させるために観客に同様の戦争体験を強いるかの如く、また第三者であるカメラの存在を主張することなく俳優達に寄り添うことによって、長廻しによる映画的緊張を持続させています。この演出に関して彼はその創作ノートに以下のように記しています。*1

ショットシークエンス

つまり兵士たちがヘリコプターに搭乗し、座って配置につき離陸するまでカメラは廻り続け、窓から風景と地面の質感、その前景に逆光の顔を、カットなしに撮影すること。ヘリコプターは爆発の真っただ中に着陸して戦車が最前線に向かっていく中で、ヘリコプターの窓が開いて俳優たちが飛び降りて戦場の煙の中に突進して負傷者を救出して連れて戻り、ヘリコプターが離陸して負傷者の顔をなめて俳優の顔にたどり着く。

カットするところは一切なし。

映画を見ると分かりますが上記の構想が構想通りそのまま映画のシークエンスとして実現されています。演出・撮影的には非常に面倒で高難度な方法だと思いますが、この映画の撮影はあの欧州映画界きっての名撮影監督レナート・ベルタということもあり、そうした技術的に困難な演出・撮影が破綻することなくまるで建築を施工するかのように確個としたフォルムで生々しく捉えられています。

尚、ベルタはインタビューで「ショットを構成するあらゆる要素がまとまった瞬間、カメラを廻し始める。これこそあのイスラエルの山賊と一緒に映画を撮る喜びだ」と語っています。*2

さらにこれらアモス・ギタイ長廻し演出は驚くべきことにリハーサルを行わないで実行されているそうです。その件に関してベルタはこうも語っています。

ただ行き当たりばったりに撮るという意味ではないよ。お互いに十分議論しあい、同じ方向に向かっていることが確認できていて、信頼関係があれば大丈夫だ。思考と議論のダイナミズムを共有しているからこそ、ほとんど即興に近い状態でも撮影することができる。つまり、一見即興にみえるだけで、実は膨大な準備がその背後にあるんだ。

つまり俳優やスタッフたちと十分に議論した膨大な準備の上でドキュメンタリー的に生々しいシーンが建築されるという訳です。これがドキュメンタリーともフィクションともつかぬリアルさを体験する実録的な面白さ産み出すアモス・ギタイ映画の素晴らしさです。

という訳でアモス・ギタイ映画の魅力の一端を書いてみましたが、ソフトとして見る事ができる作品自体が少ないのが非常に残念です。将来は動画配信等で国境を超えてもっと簡単に彼の作品が見れるようになれば嬉しいのですが、どうでしょうね。もっとギタイを!

  

*1:アモス・ギタイ イスラエル/映像/ディアスポラ」 ”『キプールの記憶』創作ノート” フィルムアート社

*2:アモス・ギタイ イスラエル/映像/ディアスポラ」”証言集:レナート・ベルタ” フィルムアート社