『シン・ゴジラ(2016年)』 〜 庵野秀明による3.11以降の総力戦「ゴジラのいちばん長い日」

タイトル

まずこの映画は現在の東宝マークから始まり、次に一昔前の東宝マークが表示され、次にこれまた一昔前の青バックに白地の「東宝映画作品」が表示され、一作目の例の足音の地響きとゴジラの咆哮と共に黒バックに白地の「シン・ゴジラ」のタイトルが表示された後、画面の中心に映倫マークが表示されます。

つまり現在から過去に向かって東宝映画及びゴジラ映画を遡ってそのリスペクトを表明しつつ、庵野監督の好きな映倫マークいじりでここからは“好きにやるよ”、という過去から現在に至るまでの東宝映画及びゴジラ映画を凌駕する新たな映画としての総力戦を行うという庵野秀明総監督の決意宣言のような見事なタイトルシークエンスになっています。

三人の映画監督

この非常に好戦的な戦争映画とも言うべき映画の総力戦を行うに当たって庵野総監督は援軍となるべき三人の映画監督を直接/間接的に引用します。

まず一人目は言うまでもなく、ゴジラの生みの親とでも言うべき本多猪四郎監督です。ギレルモ・デル・トロ監督による『パシフィック・リム(2013)』やギャレス・エドワーズ監督による『GODZILLA ゴジラ(2014)』といった外国映画においてはその賛辞が惜しまれないこの監督に対して、何故自国の映画作家でそのようなオマージュを捧げる人物が現れないのか訝しく思っていたのですが、今回真打ちが登場してようやく溜飲が下がる思いです。

本多監督のゴジラに関しては上記のタイトル表示以外にも鎌倉への上陸シーン、整然とした避難誘導、登場シーンに合わせて引用元が変化するゴジラの咆哮のような直接的なオマージュ/引用が多数あります。

次に二人目の監督としてあげられるのが岡本喜八監督です。短いカットによるテンポのある編集や場所や人物に対してしつこいくらい説明テロップを出す演出はまさに『日本のいちばん長い日(1967年)』の影響が大きく、会議シーンが主なウェイトを占める本映画においては間接的なオマージュと言えるのではないでしょうか。

そうした演出的な影響とは別に、岡本喜八監督は牧(元)教授という出演者(写真)として登場します。これが端役どころか押井守監督の『機動警察パトレイバー the Movie(1989)』の帆場暎一のような重要な役どころで、ゴジラに人の遺伝子を与えて復活させた張本人ではないかという影の主人公とでもいうべき人物として石原さとみ演じるカヨコ・アン・パタースンから渡される調査依頼書にクリップされていた人物の写真が岡本喜八監督その人です(その他、役に立たない御用学者に実写の犬童一心監督や原一男監督や緒方明監督が登場しますがこれがどう見てもアニメ界の三大巨匠である富野、高畑、宮崎監督に見えてしまいます)。

そして最後に三人目の監督として登場する援軍が意外というか当然というか、まぁ、この人しかいませんね。庵野秀明監督その人です。

総力戦として自己言及される庵野秀明

この映画は総力戦です。何の仮想敵と戦っているかに関しては複数の解釈ができるので特に述べませんが戦力として繰り出せるもの、使えるものはすべて使用して戦わなければ勝利できないほど巨大な敵であることは確かなようです。

そしてその戦力として最たるものは監督自身の作品です(総監督が監督自身の作品を引用しても訴えられませんしね)。総力戦として自己言及的に自身の映画を直接/間接的に引用することで戦力の増強が計られます。エヴァに関しては特に説明不要かと思いますのでそれ以外で以下具体的に見てみたいと思います。

無機物主観ショットと電車

まず僕が“監督庵野秀明(新人)”の実写処女作である『ラブ&ポップ(1998年)』を見て印象的だったのはモノ(無機物)にカメラを取り付けてその主観ショットを撮るという行為です。これはこの映画でかなり徹底されていて、飲み物のコップの底、食べ物の皿の下、電子レンジの裏、パンツから見たスカート、自転車から見た足、踏み切りの棒から見た線路等々、かなり偏執狂的に行われています

本作においても同様の行為が行われていて、携帯本体側から見たコンテンツ画面、救急車のパトライト、電話機から見た受話器、入れ物から見た放り込まれるペン、移動する会議室の椅子、戦車の砲台、ミサイルの画像センサーによる着弾映像、ノートパソコンから見た細胞の解析結果画面等々、これら無機物からの主観ショットが印象的に使用されています。

次に引用が多いのが線路電車です。『ラブ&ポップ』ではやたらと(というか最初から最後まで)ミニチュアの模型列車が使用されていますし、『式日(2000年)』では線路で主役二人が出会ったり、二本の列車が消失点に向かって走って主人公を挟み込むのが印象的なシーンになっていたりします。ビデオ作品の『流星課長(2002年)』に至っては舞台は満員電車のワンセットのみです。

本作においては京急の赤い電車が道路にぶっ飛ばされたり、立川モノレール車庫を背景として長い移動クレーン撮影が行われたり(喋っている役者より線路をメインに撮っている!)、ゴジラ討伐の重要な作戦の一つとして無人新幹線在来線が爆弾として使用されたりします。

これら自主映画のように自分の好きな行為や対象を偏執狂的に繰り返すのが庵野映画の演出であり魅力でもあります。

そしてこれらの過去から現在に至るまで使えるものは何であろうと総動員して3.11以降の日本で見事に総力戦を行ったのがこの映画になります(暴走レイバー+津波のような第二形態や、AKIRAのようなビル崩壊、原発注水作業のようなクライマックス含めたオールジャパンでの総力戦です)。

正直『キューティー・ハニー(2004年)』の監督にまともな実写映画が撮れるのかと危惧していたのですが、予想を遥か斜め上を行く映画で良い意味で裏切られました(すみませんナメてましたと謝りたい...)。

そのまともでない情熱の熱量がまともな映画を遥かに凌駕するという点において、この映画は幾千のまともな映画より遥かに面白いオススメのまともでない(個人)映画作品になっています。