『北の橋 (1981年)』 ポケモンGO的AR(拡張現実)でパリの町を冒険する最高にキュートなファンタジー・ミステリー映画

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2016年を代表するヒット商品であり、あっというまに世間を席巻して、あっと言う間にブームが過ぎ去った感のあるポケモンGOですが(今だと話題はAmazon GO?*1)、これに遡ること35年前にポケモンGO的AR(拡張現実)でパリの町を冒険する最高にキュートなファンタジー・ミステリー映画が存在していたことをご存じでしょうか?。

それが今回ご紹介するジャック・リベット監督の『北の橋 Le Pont du Nord (1981年)』 という映画です。

では映画の話の前にまずは技術用語の説明です。


AR とは(ついでにVR とMRも )?

AR(Augmented Reality:拡張現実)というのは、現実空間に付加情報を表示させ、現実世界を拡張する技術のことをいいます。

VR(Virtual Reality:仮想現実)は現実世界とは切り離された仮想世界に入り込みますが、ARはあくまで現実世界が主体です。

つまりVRソードアート・オンライン的な世界でARポケモンGO的な世界です。

ポケモンGOスマホを媒介としてポケモン(付加情報)を表示させて(現実世界を拡張して)あっちこっち歩き回ってプレーするゲームで、計らずもARを世に知らしめる事になったゲームであることはみなさんご存じの通りです。

そしてさらにはMR(Mixed Reality:複合現実)という技術ががありますが、これはCGなどで作られた人口的な仮想世界に現実世界の情報を取り込み、現実世界と仮想世界を融合させた世界をつくる技術です。

この技術はマイクロソフトホロレンズ(HoloLens)Googleが巨額の資金を出資しているマジックリープMagic Leap)がやろうとしていることです。遠隔操作で火星探査ローバーの操作を行ったり、アバターと対面で会議したり、体育館が水族館になってクジラが泳いだり、家のなかでプラネタリウムが出来たり、現実空間がデスクトップになったりします。これはゲームの中の世界というよりビジネス的な意味でこれからの現実世界、つまり私達の生活や仕事をここ数年で一変させるであろう技術です。

gigazine.net

Magic Leap HP

wired.jp 


『北の橋』におけるAR(拡張現実)

そんなAR (拡張現実)みたいなハイテクなガジェットが35年前の映画に?

いやいやそんなものはこの映画には一切登場しません。

AR(拡張現実)といっても35年前はスマホなんていうデジタル機器やCGは全くありませんでしたからね。

で、何が使われるかというとこの映画で使われるのはパリの地図に書かれた双六(すごろく)です。

超アナログでローテクどころかノーテクですね(しかもマジックで手書きしただけ、みたいな...)。

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パリの町をすごろくに見立てたダンジョンとして探検し、ドン・キホーテよろしく騎士が風車ならぬ公園の遊具を拡張現実化したドラゴンに立ち向かってお姫様を守ろうとする、というのがこの映画の基本ストーリーなんです(うっ、嘘じゃないよ。見た人は知ってるでしょうけど)  

つまりポケモンGO

現実世界スマホを媒介としてポケモンという付加情報を表示させてあっちこっち歩き回ってゲットだぜ!するゲーム

であるのに対して、『北の橋』は

パリという現実世界地図を媒介としてすごろくという付加情報を表示させてあっちこっち歩き回ってその升目にある情報をゲットだぜ!する映画

なのです。

つまりこれは全くと言っていいほど同じ構造ではないでしょうか!。(ですよね?、ですよね?、ですよね?、違うの?...)

 

登場人物

で、そのパリの街を歩き回るのがパスカル・オジェとビュル・オジェのお二人です。

名前からわかるように血のつながった親子です(あまり似てませんけど...映画の中では赤の他人の役です)。

パスカル・オジェは馬ならぬミニバイク乗りの空手家の少女、バチストを演じています。

彼女は革ジャンを、マネキンと決闘して獲得した(=盗んだ)ヘッドフォンをとする騎士道精神にのっとった武闘派で、町でライオン(の像)を見るやかかって来いやーとファイティングポーズを取り、『影武者』のポスター(もちろん黒澤の)を見るや(=ナイフ)で襲いかかり、さらにおしゃれなファッションモデルのポスターを見るや目をナイフで切り裂くという血気盛んでちょっとアブないドン・キホーテ的なパリジェンヌです。 

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一方ビュル・オジェは銀行強盗の刑で刑務所を出たばかりの元テロリスト、マリーを演じています。

彼女は幽閉されていた刑務所暮らしのせいで狭所恐怖症になっており、起きている時は車にも乗れないし、ちょっと電車に乗っただけでもフラフラと倒れてしまうか弱い女性です。

この病気のせいで彼女はパン屋の中に入る事もできなくて扉越しにクロワッサンを買って陸橋の上で食べたり、浮浪者のように公園のベンチや映画館(*2)で寝たり、道端でスカート履き替えたり、そこらへんの茂みにお花を摘みにいったりするちょっと世話のやける自由人なお姫様であります(←狭い所に入れないので仕方がないのです)。

まぁ、世話のやける人なんですけどこの設定のおかげで二人が第三の登場人物ともいえる1980年代初頭の変わりゆくリアルなパリの姿を存分に歩き回って堪能出来るという、よく考えられたキャラ設定なんですよ。

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あらすじ

このアブない二人が凱旋門辺りでライオン像にガン付けてよそ見運転していたバチストのミニバイクに、マリーが少女マンガみたいにぶつかって偶然知り合います(別にパンくわえて走っていた訳ではありません)。

ここからはセリーヌとジュリーみたいに偶然に偶然が重なって必然的に二人は友人になり、バチストが騎士のようにマリーのボディガード役を務めるというのが物語の発端です。

この二人にマリーの昔の恋人であるジュリアンの持っていたカバンに入っていたマップを手癖の悪いバチストが盗んだことから、AR的なダンジョン探検が始まるのですが、そこに同じくカバンを狙っていた禿げ頭の謎の中年男マックスも加わってミステリー/ノワール的な要素も絡みつつ、果たして二人の運命や如何に?、というのがおおよそのあらすじです。

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後半かなり話を端折って説明してしまいましたが、この映画はちゃんと四日間に区切られた物語で、一日目、二日目とテロップが表示されて進行する『セリーヌとジュリーは舟でゆく(1974年)』と同様に律儀な構成の映画になっています。話もテキトーそうで、さに非ずというのも同様です。

そして最後まで見るとこの映画には驚愕のラストが待っています。たぶん今思い出せる中で僕の見てきた映画史上ベスト3に入るであろう驚愕のラストです(ちなみに後の二つはトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』と『スポンティニアス・コンバッション』ですが、別にこの映画のラストがホラー展開になる訳ではありません)。

詳しくは申しませんがこれは誰もが予測不可能な驚愕のラストで、見れば”ぽかーん”と口あんぐりすること必至です。

映画ってどこまで自由になれるのかしら?

そんな事を考えさせてくれたりくれなかったりする映画です(どっちだよ)。

あと彼女達はこの映画の脚本にも参加しています。役者と一緒になって即興的に作る典型的なリヴェットスタイルの映画です。町のざわめきやアストル・ピアソラの音楽("リベルタンゴ")もノワジーで心地好いです。日本版は廃盤のようで簡単に見れないのが残念なのですが、海外ではBDも出ているようです。興味のある方、レンタル等で見る機会のある方はぜひご覧になって驚愕のラストにア然となってみてください。f:id:callmesnake1997:20161210094758j:plain

 

 【関連記事】

callmesnake1997.hatenablog.com


 

*1:この国の気分は変わり過ぎて疲れるぜ (by フィッシュマンズ) 

Amazon GOは今後爆発的に普及が予想されるレジ清算不要の革命的な無人コンビニのことでポケモンGOとはなんら一切関係ございません。

*2:ウィリアム・ワイラーの『大いなる西部(1958年)』やアンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『囚われの女(1968年)』を上映