『ミニー&モスコウィッツ(1971年)』~ 孤独な男と女を祝福するカサヴェテスのラブスプリーム

アメリカ映画には偉大なJ・Cが二人いる。一人はジョン・カーペンター、もう一人はジョン・カサヴェテスだ。 

と、引用すると誰か偉い人が言った名言のように見えるかのテストです(誰もそんな事は言ってないと思いますのでとりあえず僕が言っておきました)。
冗談はさておき今回はジョンカペの話ではなくもう一方のアメリカ映画界の偉大なJ・C、あるいは「アメリカン・インディーズ映画の父」ことジョン・カサヴェテスの作品について書きます。
しかし、カサヴェテスと言うとどの映画をみてもカサヴェテスとしか言いようのない映画ですよね。北野武がどの映画を撮っても北野武であるように、イーストウッドがどの映画を撮ってもイーストウッドであるようにカサヴェテスは何を撮ってもカサヴェテスなのです。何か強烈な個性を持った面白い人が映画を撮ればそれはドキュメンタリーのように強烈な個性を持った面白い映画ができてしまうという、これは何か人間的な本質が映画に現れてしまう、あるいは人間的な巨大さが映画の巨大さとして計らずも表出してしまう、そんな感じの偉大な映画作家です。世の中には過去の映画をDJ的にリミックスして箱庭的な世界の構築に腐心する人もいますが、そのようなちっちゃい事しか考えていない人は一時的には評判を取っても結局ちゃっちい映画しか作れず早晩バックボーンの無さが露呈し消えていく運命にあると僕は思っています(あえて名は伏しますが最近多い)。
ということで話が脱線しかけたのでカサヴェテスの話に戻しますが、カサヴェテスのルーツがどこにあるのかということを考えてみますと、これはまずリュミエール兄弟にまで遡ります(←遡り過ぎか?)。僕は映画にはリュミエール的に撮られたものかメリエス的に撮られたものかの二種類しかないと思っているのですが、カサヴェテスは言うまでもなくリュミエール的なリアルさと風通しの良さを提示する側の作家です(ちなみにもう一方のJ・Cはメリエス的な非リアルさを意図的に構築する側の作家です)。そしてこのリュミエールの系譜にはロベルト・ロッセリーニジャック・リヴェット(『アウト・ワン』等)、ジョン・カサヴェテスビクトル・エリセ(『マルメロの陽光』等)、ジョナサン・デミ(『レイチェルの結婚』等)といったそうそうたる面々が連なります。
そして、
ロッセリーニ説明しない、提示するのだ。
というのは巨匠ジャック・リヴェットの名言でありますが、これはロッセリーニの部分をリヴェットカサヴェテスに変えても適用可能な言葉になるかと思います(ちなみにリヴェットはカサヴェテスとアルトマンのトリックと罠に関して言及してたりします)。
だいたい私たちの人生の普通の生活の中で映画の中で見られるような物語の説明セリフを言う人間がいるのでしょうか?いたら間違いなく変人扱いされると思いますが、そうした映画的な嘘臭さを排して人間を人間のまま即興のような風通しの良さで提示すること、これがロッセリーニからリヴェットからカサヴェテスからデミに至るまで試みられてきたある一方の映画史的な流れの一つです。 ということで前置きが長くなってしまいましたが、なぜか最近NHK BSで放送してくれたおかげで久しぶりに見ることができたカサヴェテスの愛溢れる傑作『ミニー&モスコウィッツ』についてのお話です。しかし愛溢れる傑作とは言いましても僕は「あい?なにそれおいしいの?」ぐらいにしか思っていない浅薄な人間ですので、そっち方面の話より何が映画の中に具体的に提示されているのかに関して書いてみたいと思います。

f:id:callmesnake1997:20170604003550j:plainf:id:callmesnake1997:20170604003538j:plain

【プロローグ:モスコウィッツ】

夜の街の中を車を運転するショットがタイトルの表示と共に車の中から描写されます。車の中から出てきたのは配車係でシーモア・カッセル演じる口髭(これが凄い)長髪の男モスコウィッツ。仕事が終わると彼は新聞を買って映画館に繰り出し『マルタの鷹(1941年)』を見ます(この映画館街の文字看板にはマイケル・ケインの『狙撃者(Get Carter)』(1971年)とジェームズ・ガーナーがマーロウを演じる『かわいい女(Marlowe)』(1969年)が見られます)、映画館では「初めて会ったときから運命の人だと思っていた」とメアリー・アスター演じるブリジッド・オショーネシーがボガートに命乞いする意味深なセリフのシーンが引用されています。
映画館を後にして新聞を持ったモスコウィッツはカフェに入ります。そこで相席になった女房を亡くした48歳の孤独な男、ティモシー・キャリー演じるモーガンモーガンと映画や彼の身の上話をします。モーガンの一方的な話を聞いてケンカになりかけたりもしますが和解して彼は夜の街に繰り出します(ここは普通のハリウッド映画だと物語の説明としては不必要なカットシーンになるのでしょうが、この映画ではモーガンの一人芝居とモスコウィッツの人間性を示すハイパーリアルでユーモラスなシーンとして提示されます)。レストランでは人妻やカップルに知り合いを装ってちょかいを出すも逆に同伴の男に追いかけられ、バーで青い瞳のアイルランド人をナンパするも店の用心棒につまみ出されてボコられます(ここまででも結構長いと思うのですがまだタイトルクレジットの途中です)。

f:id:callmesnake1997:20170604003800j:plain

翌朝花束を持って実家のお母さん(演じるはカサヴェテスの実母。終盤にも出てきてジーナの実母と共に笑わせてくれます)の家に寄ってカリフォルニア行きのお金を借ります。
次はカリフォルニア行きの飛行機の中で機内食のニンジンを食べない子供とのその母親と同席します(ここは普通のハリウッド映画だと物語の説明としては不必要なカットシーンになるのでしょうが、この映画ではニンジンを食べない子供と無理にたべさせようとする母親とたまたま同席していた機転を利かしてバッグス・バニーのマネをしてニンジンを食べるモスコウィッツの人間性を示すハイパーリアルでユーモラスなシーンとして提示されます)。
そしてカリフォルニアに着いたモスコウィッツはモーテルを借りて寝城を確保します。 

f:id:callmesnake1997:20170604003757j:plain

f:id:callmesnake1997:20170604033452j:plain

【プロローグ:ミニー】

一方、美術館勤務の同僚とバスを降りて映画を見に行くのはインテリオールドミスのジーナ・ローランズ演じるミニー。『カサブランカ』のラストが引用され、映画館から出て同僚のフローレンスの家で二人女子会です。ワイン飲みながら映画の話やら年取ると性欲は衰えるのかと言った話をします。さらに「男はバカよねー」とか「映画って陰謀だわ、理想が現実に思える、勇気とか善良な男とか、ロマンスとかそれに...もちろん愛もそうよ」、「愛を信じているから男を探すんでしょ。でも見つからない」、「シャルル・ボワイエみたいな男私の人生にはいないわ、クラーク・ゲーブルハンフリー・ボガートみたいな男どこにもいないわよ!彼らは実在しないの。それが真実よ!」とか言ってクダを巻きます(これも普通のハリウッド映画だと物語の説明としては不必要なカットシーンになるのでしょうが、この映画ではジーナの一人芝居の名演技とミニーの人間性を示すハイパーリアルでユーモラスなシーンとして提示されます)。
いい気分で酔っ払って家に帰るミニー。そこに待っているのはカサヴェテス演じる彼女の恋人。酔っている事に激怒していきなり思いっきりバイオレントなビンタを五発もかますゲスなDV不倫男です。殴った後でやさしくコップに水を汲んで持ってきて勧めるも時既に遅し。今度は逆にミニーのバイオレントな攻撃で反撃に合います。「恋したころのあなたは私を殴ったりはしなかった」と泣きながら責めるミニー。ひざまずいて「愛している」と許しを請うカサヴェテス。結局二人は愛し合って「♪あなたを心から愛している。いとしい人よ。人生には悲しみが付き物、人生には涙が付き物」の歌が流れます。
翌朝自分の家に朝帰りのカサヴェテスは夜通し寝ていない奥さんに洗面所で泣かれるハメに。

f:id:callmesnake1997:20170604003803j:plain

【出会い:ミニー&モスコウィッツ】

ランチ時、ミニーは同僚がミニーの振りして勝手に知らない人に電話して決めたブラインドデートに行かされる事に。お相手は中年の冴えないヴァル・エイヴリー扮するゼルモ・スウィフト。一方的に大声で喋り、かつ絶望的に話がつまらんゼルモ。これはたまらんとレストランから駐車場に逃げ出すミニー、駐車場では逆ギレされたゼルモと配車係として働いていたモスコウィッツがバイオレントに殴り合うひと悶着が起きます。
ボコられて鼻血出してるゼルモを置いて逃げ去るミニー&モスコウィッツ。
ホットドック屋でランチして二人いい感じになるもミニーは一人で職場に帰ろうと歩き出します。モスコウィッツは軽トラに乗って彼女を追いかけ、舗道に乗り上げてまで彼女を一途に追いかけます(このシーン、ワンカットで一歩間違えれば本当にひき殺すのかと思えるほどリアルに撮影しています!)。

f:id:callmesnake1997:20170604003859j:plain

ということでようやく二人が出会う訳ですが、ここまででたぶんこの映画の三分の一くらい過ぎてます。おそらく普通のハリウッド映画の説話的経済原則に乗っとりますと物語の説明の都合上最初の十分くらいで二人が出会うのでしょうが、孤独で一途な配車係と男運の悪いインテリのオールドミスの出合いを私たちの人生と同じようなリズムで提示されていますので、その数倍の時間が丹念にかけられています。しかしこれは無駄な時間のかけ方ではなく、インディペンデント映画に許される贅沢で濃厚でリアルな時間です。
そして二人が出会ってからさらに贅沢で濃厚でリアルな時間が流れ、話はさらに色々と面白くなるのですが、あまりネタバレしてもあれなのでこのへんにしておきます。またNHKで再放送される機会もあるかと思いますので未見の方はぜひチェックしてこのカサヴェテスによるバイオレントで愛に溢れた素晴らしい映画で至高の愛の瞬間を体験してみては如何でしょうか。f:id:callmesnake1997:20170604033454j:plain


映画(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村