『ゲッタウェイ(1972年)』 〜 サム・ペキンパー、あるいは時空を拡張するマゾヒスト

“永遠の名作”という最大公約数的な縛りのためなのか大して面白く無い映画が大半を占めている印象がある「午前十時の映画祭」ですが、たまに本当に面白い映画も上映してくれますので要注意です。本作がまさにその面白い映画ですので見ていない人はまずは劇場に駆け付けましょう。見逃した人は今後生きているうちに劇場で観れる機会はめったにないかと思いますので、これから一生後悔して生きていく事になります。

なんて冗談はともかくとして、この映画は本当に面白いです。理由としては監督として独り立ちする前のウォルター・ヒルによる脚本のオチが素晴らしいとか(マックィーンがジム・トンプソンから差し替えた)、

二週間で作らされたクインシー・ジョーンズの音楽が心地良いとか(マックィーンがジェリー・フィールディングから差し替えた)、

ショットガンは紙袋に包まれたままぶっ放すべきだと勘違いさせる程スティーブ・マックイーンの銃さばきがカッコ良いとか(マックィーンは元海兵隊員で銃に慣れており、このパトカーを破壊するシーンも彼のアイデアだとか)、

川遊びやシャワーで濡れ髪のアリ・マッグローが美しいとか(この映画をきっかけにマックイーンがロバート・エバンズから略奪愛してW不倫の末二人は結婚した)、

等々色々とあるのですが、まずは監督サム・ペキンパーの倒錯的な欲望がそのまま映画的なフォルムを形作る独特の映画時空が最初から最後まで弛緩する事なく繰り広げられるという一点につきます(本人は気に入いってないらしいですが)。以下その独特なペキンパー時空の必殺技を見てみましょう。


ペキンパー時空その①:時間が止まる

文字通り時間が止まってスチル写真みたいになる瞬間があります。この映画だとオープニングタイトルでこの必殺技が炸裂します。なんか単に刑務所の外にいる鹿とかにも適用されてしまいますので、単にそういう事やりたいだけなのねとつい思ってしまいますが、『ワイルド・バンチ(69年)』や『戦争のはらわた(77年)』でも同じような事をやっていますのでペキンパー時空ではおなじみの光景なのです。


ペキンパー時空その②:予知夢的に出来事が先行する

これも文字通り予知夢的に出来事が先行したシーンがインサートされます。例えばまだマックイーンが刑務所内に服役中で織機の機械音が響き続けるオープニングのシーンにアリ・マッグローとベッドで戯れるカットが何度かインサートされます。この時点では外に出た後を妄想してたイメージシーンなのかな程度にしか思いませんが、その後出所した後に実際に二人がベッドで戯れるシーンが展開されて実際の行為が予言されていた事が分かります。

また川遊びで二人戯れるシーンもまずは最初に予知夢的にインサートされます。これも妄想してるイメージシーンなのかなと思うと実際に二人が濡れた服でモーテルに帰ってくるシーンになり、実際に川に飛び込んだ事が分かります。よって予知夢的に先に示される予言的なイメージショットは後で実行されるリアルイベントという事になります。親切にもこれから起きる出来事を先に教えてくれている訳ですね。


ペキンパー時空その③:同一時刻に起こった別空間の出来事が個別に繰り返されて描写される

これは序盤の銀行強盗(A)と陽動の車爆破(B)のシーン、
あるいは中盤の紙袋に包まれたショットガン(A)とパトカーの被弾(B)のシーン、
あるいはゴミ収集車の運転席のレバー(A)と収縮するシャフト(B)と圧縮され潰されるゴミ(C)のシーン、
あるいはクライマックスのマックイーン(A)とマッグロー(B)、あるいは敵(C)それぞれの銃撃戦のシーン、等を見れば明らかです。
同一時刻に起きる別空間(A)、(B)、あるいは(C)の出来事を画面分割で同時進行で描写する事なく、個別に何度か時刻を遡って別空間で起きた出来事を繰り返し時間を遡って描写します。つまりこれが例えばブライアン・デ・パルマであれば、同一時刻に起きる(A)と(B)の別空間の出来事を画面分割でまとめて同一時間軸内に描写したり、ハワード・ホークスであれば(A)と(B)をシーケンシャルな時間軸の中のショットで同時あるいは交互に捉えたりするのですが(一定方向にしか時間が流れないという制約のある映画にとって、複数空間を同一時間軸内で表現するにはこの方法しかありません)、ペキンパーはご丁寧にもまずは(A)で起こった出来事の描写を行い、次に(B)で起こった出来事の描写を時間を戻して再度繰り返して行うのです((C)の出来事がある場合もまたしかりです)。
普通だと銃を撃った次のカットは撃たれた後の倒れる者が描写されるのですが、ペキンパー時空だと銃を撃った次のカットは時間を遡って撃った銃の弾が被弾するところからスローモーションで描写されるのです。

上記の三点から導き出される結論は時空の拡張に他なりません。①時空を停止させ、②先行再生で反復し、あるいは③後方再生で拡張反復して引伸ばします。これはある種描写の経済効率から考えると無駄の多い冗長な行為とみなされ(*1)、一部の映画原理主義者からは欠点として糾弾され兼ねない行為かもしれませんが、これはペキンパーの専売特許の必殺技ですので自分は特にそうは思いません。ただ、この時空の拡張方法はその創始者のみがトレードマークとして使用が容認される特権行為ですので、その模倣者(例えばタランティーノあたり)はギャグやパロディとしてしか見做されませんのでヘタにマネすると無惨な屍と恥を晒すことになります。
まぁ、そんな後世の話はともかくとして、ペキンパーは自らの映画時空を拡張してそのマゾヒズム的欲望(拡張されるのは常に被弾者の方)のアクションを具現化します。スター映画という事でマックィーンに色々口をはさまれ最終編集権も無く気に食わない事ばかりだったのかもしれませんが、彼独特の演出(主に編集による時空の拡張)による作家の刻印はくっきりはっきりとこの映画の中に刻み込まれています。その効果は少なくとも今劇場公開されているどの映画よりもこの映画の方が面白いという事で証明されておりますので、その面白さをぜひ劇場でお確かめください。

*1:ホークスは『ワイルド・バンチ』に対して「彼がスローモーションで1人を殺す間に、俺は4人も殺せる」と語った(『監督ハワード・ホークス「映画」を語る』 青土社


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