『花吹雪舞う!春の鈴木清順幻の作品祭り』 ~ 具流八郎との空白の10年:疾風編

いつかその日が来るだろうとは思ってはいても実際にその日が来てしまうとやはり結構ショックだったりする清順さんの訃報(2017年2月22日)。本来であればしめやかに追悼すべきなのですが、既に発表の時点で9日もタイミングを逸している始末(同年2月13日満93歳没)。

NHKの健康番組で煙草を吹かしつつ「下らない。人間、誰でも死ぬ」と言ってクレームを受けたという伝説を残したり「やっぱり死ぬことも神様のおぼし召しだからね。その人にとっては。よく犬が自動車に轢かれるでしょ、可哀想と思いいまさぁね。可哀想じゃないって言うんですよね。それは神様のおぼし召しなんですから」というさすが戦争体験者ともいうべきシビアな死生観。大正生まれの偏屈なアナキストの美学を通して人知れず静かに大往生。最期まで粋な御人であります。

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という事で時節も清順さんの好きな桜の季節になってきましたので追悼というよりは「いち期は夢よ、只狂え」の銘に従い、勝手ながら『花吹雪舞う!春の鈴木清順幻の作品祭り』と称しまして清順作品としてはこの世に生まれることのなかった映画の亡霊ともいえる幻の夢の殿堂の断片をパッと書き散らしてみたいと思います。が、その前に今回のお話の重要な登場人物の説明を。

 

具流八郎とは一体何者なのか?

1956年の監督デビュー以来10年間、年に三本、或いはそれ以上の作品数(主にアクションや女性映画といったプログラムピクチャー)をコンスタントに撮っていた清順さんですが1967年の『殺しの烙印』から1977年の『悲愁物語』の間には実に十年もの間映画を撮れない時期が続きました。

言わずと知れた「鈴木清順問題共闘会議」の結成でも有名な日活の不当解雇(当時の日活社長堀久作に「鈴木は分からない映画を撮る」と馘になった)による空白期間です。この十年という期間は結果的に十年も経ってしまったという事であって決して意図されたものではありません。

その間はいくつもの実現しなかった企画が存在しており、様々な事情で生まれては消えていたのです。そのような夢とも妄想とも亡霊とも言えぬ不確かな存在の中で、ちゃんとこの世で観測されて手に触れ目に見る事が出来る断片が確実にこの世に存在しています。

それが具流八郎というやはり現実には存在しないヴァーチャルでもゴーストでもない謎の情報統合思念体が、夢の実現のために10年間もの間確実にシナリオやシノプシスといった現実に存在するモノを献身的にこの世に産み落としてきたいう事実です(←おおよそ申し訳ないほど簡単に手に入ります。ネットって便利ですね)。

まぁ、謎の情報統合思念体と適当に書いてしまいましたが、その正体を知ってる人にとっては常識ですし、知らない人にとってもググればすぐに分かるんで全然謎の人物じゃないんですけどね(すみません。以下ちゃんと書きます)。 

具流八郎(ぐる はちろう)というのは曾根中生さんの呼びかけで大和屋竺、岡田裕、山口清一郎といった日活助監督の同期八期生に先輩の榛谷泰明(日活助監督六期生)および脚本家の田中陽造といった1966年当時の日活の助監督/脚本家さん達に加えて美術の木村威夫さんをアドバイザー、監督の清順さんをまとめ役として集まった計8人の流動的なメンバーによるダーティでヘイトフルでマグニフィセントな8人の映画テロリスト集団の名称です(通称グルッパチ)。

名前の由来は当初金が入るように「図所金剛」や「調布金剛」が候補に挙がっていたそうですが日活の助監督「グループ八期」が中心だったので「具流八郎」になったそうです(*1)。この結成は偶然によるものではなく、高い外注の脚本家の脚本料を安く抑えて、社員である演出側で急な企画の穴を埋めたいという会社側の思惑も絡んだ必然的なものであったと思われます。

そしてこの流動的な8人の情報統合思念体が想定以上に商業映画の臨界点を突破した常に見る者の100光年ぐらい先の未来を行く映画を作ってしまったばっかりに、スターシステムの崩壊と放漫経営のツケによって経営合理化を余儀なくされ斜陽と終焉の影が指し始めた日活社長の怒りを買って清順さんが馘になってしまったのは前述の通りです。

ということで前置きが長くなりましたがこの情報統合思念体が産み落とした1ダースはあると言われている夢の殿堂の断片である映画の亡霊達に可能な範囲で具体的に触れてみたいと思います。 以下年代順で。 

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続・けんかえれじい(1966年)

【主要執筆者】:曽根中生、榛谷泰明

【発表媒体】:「映画評論」1969年7月号

【発表形態】:シナリオ 

1966年公開の(今では名作の誉も高い)『けんかえれじい』の 試写のあとに助監督であった曽根中生さんとその先輩である榛谷泰明さんが日活が用意した調布の「清流荘」というこれまた不吉な名称の旅館に集まって書いたたシナリオです。

続編ということで226の話になるのかと思いきや、あれは原作には全く無い清順さんのアドリブ演出(スタッフも直前まで知らなかったとか)だったということですので前作との直接のつながりはありません。

昭和17年(前作の六年後)東京の大学で「童話研究会」に入っていたキロクから話が始まります。徴兵され日中戦争で日本軍の本隊から見放された独立守備隊の一員としてキロクが不条理な上官軍人とケンカする戦時下のアクション物になっています。作られていれば『春婦伝(1965年)』を『兵隊やくざ(1965年)』的なアクション物にしたような映画になっていたのかもしれません。

監房でのケンカに勝利したキロクの顔に軍靴の音で学徒出陣がオバーラップしたり、まるで『顔のない眼』のように童話が伏線となる詩的な美しいラスト等、はっきりと清順映画をイメージして書かれたシナリオとなっています。 

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ゴースト・タウンの赤い獅子(1966年) 

【主要執筆者】:大和屋竺(プロットは具流八郎)

【発表媒体】:「映画評論」1969年7月号、「荒野のダッチワイフ―大和屋竺ダイナマイト傑作選」

【発表形態】:シナリオ

小林旭主演で企画されていた作品だそうです(クランクイン直前に解雇事件により消滅)。制作されていればマカロニ・ウエスタン+ホラーのような「野獣の青春」よりさらに一歩進んだ血なまぐさい無国籍アクション映画が誕生していたかもしれません。

田中陽造の青白い風貌がヒントになって、鰊(にしん)御殿を根城とする凶悪な美少年の首領が設定された。彼は浜を血で染めることによって魚群が返ってくると狂言するのだ(*2)。

 鈴木清順によるとこの物語の展開は、河が真っ赤に染まる画を撮りたいという清順の希望によって考えられたものだという。(*3)。

これはなんといっても鰊(にしん)の不漁でゴーストタウンになった町を、密出国しようとする者を生贄として集めて浜辺で殺戮を繰り返して真っ赤に染めようとする敵の凶悪な美少年「荒若」のキャラ設定(クライマックスでは女装で敵を欺きます)とその殺戮のイメージが凄いです。

そして河が真っ赤に染まる画を撮りたいという清順さんの希望は25年の時を経て『夢二(1991年)』の屠殺場の血で池が真っ赤染まるシーンによって実現されたのではと思えます。 


殺しの烙印(1967年・日活)

【主要執筆者】:大和屋竺田中陽造曾根中生

【発表媒体】:「荒野のダッチワイフ―大和屋竺ダイナマイト傑作選」

【発表形態】:シナリオ、映画

これは具流八郎の唯一実現した脚本で説明は不要の作品ですね(ちなみに冒頭の歌と顔を背広で覆って死ぬ気障な殺し屋は大和屋さんです)。企画部から「エロものの添え物が必要だが新しく書いてやってくれ、封切日は決まってるから」との依頼で日活の急場を埋めるために作られた作品だとのことです(なので「結果的にとやかく言われることはないと思う」というのが清順さんの言い分です(*4))。

とはいうもののワンマン社長からの一方的な暴言を結果的にとやかく言われてしまい鈴木清順の10年を生贄として差し出した罪深き作品であり、それと同時に後に世界的に清順フリークを発生させた商業映画の臨界点を突破した革命的な作品として世に生み出された事を祝福されるべき記念碑的な作品ともいえます。

しかし果たしてこの映画が無ければ毎年三本の清順映画が見られる世界線がどこかの時空に存在していたのでしょうか?それともこの映画で経営不振が深刻化しその役目を終えようとしている日活と決別し10年の空白期間が生じるのが運命的な歴史の必然だったのでしょうか? 

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続・殺しのらくいん(1967年)

【主要執筆者】:田中陽造大和屋竺曾根中生

【発表媒体】:「Style to kill―殺しの烙印VISUAL DIRECTORY」

【発表形態】:シノプシス

『殺しの烙印』は試写の段階では評判もよくプロデューサーからすぐに続編を書くように指示されて神楽坂の「和可菜」に三人が籠って執筆を始めました。しかし第一稿の途中まで進んだ段階で『殺しの烙印』が封切られたのですが惨憺たる不入りのためあえなく執筆中止となったそうです。現在では原稿は散失し、シノプシスのみ読むことができます。こちらも『続・けんかえれじい』同様”続”といいつつも前作との直接の関連はないようです。

腕は一流だがランクには入っていないすねたフリーの殺し屋の野田。彼の元に失踪した殺し屋の夫(都留)の代わりに殺しの依頼に来た類子が訪ねてくる。都留の殺しのテクニックは笑ったままの顔で射殺すること。夫と同じテクニックで殺しを行えば本物がびっくりして姿を現すはずという筋書きなのだが...。

笑い顔で死ぬというグロテスクなイメージや耳は聞こえないが異常な嗅覚を持つ都留を香水でかく乱する等の『殺しの烙印』同様奇抜で秀逸なアイデアに満ちたシノプシスです。田中さんが書いた「最終的には組織の中央に位置する巨大なコンピューターと対決する」という構想が凄くて忘れられないと曽根さんと大和屋さんが述懐しています。

コンピューターが仕掛けてくる攻撃、罠。コンピューターとの命がけ、血みどろの戦い。壮絶なアクション映画になるはずだった(*5) 

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人斬り数え唄(1968年) 

【主要執筆者】:鈴木清順

【発表媒体】:「鈴木清順けんかえれじい (人間の記録) 」

【発表形態】:シノプシス

こちらもシノプシス(原案)のみです。殺し屋の地獄巡りの歌が人斬りと共に『東京流れ者』的に背景として流れたであろう任侠物のアクション時代劇です。制作されていれば『花と怒涛』、『関東無宿』、『刺青一代』のような作品になっていたかもしれません。以下制作意図を引用します。

満天下の映画ファンを魅了する。新しい日活アクション時代劇を作る。出来れば、瞼の母を求めて放浪する主人公信次郎の人斬りシリーズを目指したい(*6)。

こうした清順さん側の意気込みとは裏腹に1968年4月25日、日活が1年間の専属監督契約延長を結んだばかりの鈴木清順を解雇。「鈴木にソバ屋でもやらせろ」等の暴言で日活社長の堀久作に喧嘩を売られ、「鈴木清順問題共闘会議」を原告支援の団体として同年6月日活を提訴、裁判が始まります...。

 

売られた喧嘩は買わずにはいられない江戸っ子気質の清順さんと親分の危機にペンで立ち向かうべく結束した具流の八人衆。そしてその情報統合思念体から生まれ落ちたる奇々怪界でメタフィクショナルな脚本『鋳剣』と其の夢を貪り尽くすべく暗躍する詐欺師プロデューサー。果たして彼らの計画する復讐の物語とその運命や如何に?

 

というところでちょと長くななりましたので次回に続きます。
 

 

*1:曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ」2014年 文遊社

*2:「悪魔に委ねよ 大和屋竺映画論集」1994年 ワイズ出版

*3:「荒野のダッチワイフ―大和屋竺ダイナマイト傑作選」1994年 フィルムアート社

*4:鈴木清順全映画」(- 日活解雇・封鎖事件を振り返る - 上野昴志) 1986年 立花書房

*5:※1:参照

*6:鈴木清順けんかえれじい (人間の記録) 」2003年 日本図書センター