『高野文子』~ピカソのようにスタイルを変えて進化する変幻自在な天才漫画家~

天才漫画家といってまず一番最初に僕の頭に浮かぶのは高野文子さんです。寡作ながらも作品毎にピカソのようにガラっと絵のスタイルを変えて脱構築的に進化する天才的に絵の上手いカリスマ漫画家さんです。

1979年の商業誌デビュー以来、以下の漫画作品が出版されています。

  • 『絶対安全剃刀』(1982年 白泉社
  • 『おともだち』(1983年 綺譚社/1993年 筑摩書房)
  • 『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』(1987年 小学館/1998年 マガジンハウス)
  • るきさん』(1993年 筑摩書房/1996年 筑摩文庫)
  • 『棒がいっぽん』(1995年 マガジンハウス)
  • 『黄色い本』(2002年 講談社
  • 『ドミトリーともきんす』(2014年 中央公論新社

僕の高野作品との出会いは「月刊スターログ」というSF雑誌がきっかけです。この雑誌のお便りコーナーのイラストカットにかわいい子供が(おもちゃのマジックスプリングのように)首をびよーんと伸びして蝶々を捕まえる2コマのカットが「F.TAKANO」の名義で載っていたのが最初の出会いだと思います(この絵は『絶対安全剃刀』のp.46に掲載されています。p.34のカットもスターログからのカットですね)。サラっとしなやかに描いたかわいい絵柄だけどちょっと変わった感性の持ち主というのが最初の印象です。

ちなみにこの頃(1980年頃)の高野さんは『地球へ…』+『スター・ウォーズ』や『スター・トレック』+『スター・ウォーズ』のパロディーもスターログに書いていますね...(タバコを吸うC3POってw、やっぱこの人のセンスはちょっと変わってます)。

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その後同じ「スターログ」にSF作家の川又千秋さんが書評*1で『絶対安全剃刀』を絶賛していたのがフルネームの「高野文子」を知ったきっかけです(F.TAKANOと同一人物です。あたりまえですが)。この書評が見事に高野さんの将来を予言しているような内容で今読むと川又さんの先見の明に驚かされます。恐るべき未来予測書評です(さすがSF作家!)。以下少々長くなりますが引用しておきます。

高野文子が天才であることはこの第一作品集「絶対安全剃刀」を一読すれば、誰でも、即座に了解できるはずだ。しかし僕は集中の十七編がそれにふさわしい天才的作品とは思わない。それら各編はただ、まぎれもない彼女の天才の照り返しで輝いて見えるだけだ。だからこそ胸が躍る。本当の天才は、じっくりやろうとどうしようと決して腐ったりくたびれたりするものではない。彼女はまだ好き勝手に絵を楽しんでいるのだ。子供がいたずら書きするような具合に、だ。「絶対安全剃刀」は彼女にとって、その程度の作品でしかないと僕は感じる。この背後から「未知との遭遇」のマザーシップのような天才が、いずれ、静々と姿を現してくるに違いない。「絶対安全剃刀」はその日のための予言書である。

『絶対安全剃刀』には大友克洋っぽいニューウェイブな絵柄から少女漫画っぽいものや歌舞伎っぽいレトロな絵柄まで実験的にいろいろ試している感じで天才の萌芽が感じられる作品集です。ちなみにこの頃のスターログには「初版の部数が少ないのでファンの人は要注意」みたいなことが載っていました。さすがにこの本が三十年以上経っても絶版にならずにロングセラーになるとはこの時点では誰も想像していなかったんじゃないかと思います。


続く『おともだち』や『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』は「プチフラワー」や「週刊セブンティーン」というメジャー誌ということもあってか、こういう普通の少女漫画のフォーマットでも描けるんだという感じでした。ここらへんはピカソでいうと「青の時代」的な自分の技術で何かを表現できるか実験しているような比較的分かりやすい時代なのではと思います。


次の『るきさん』は「hanako」というメジャーな情報誌での連載でしたが、これはちょっと僕にとってはスゴイ衝撃的な作品でした。基本的な四コマ漫画(タイトル入れて見開き二ページを均等に割った十六コマですが)のフォーマットなのですが、分かり易いオチがなく、一見ちょっと考えないと理解できないキュビスム的な視点の切替えのモンタージュがなされていた漫画だったからです。

例えば、第四話でるきさんがゲートボールをプレーしてアシンメトリーに結んだブラウスのボウタイがじゃまで首の後ろに回しててせっかく親友のえっちゃんがコーディネートしてくれたオシャレが無駄になるというオチの話があります。これがなんで衝撃的かというとちょっと普通の人がやらないような変わった視点切替えを高野さんがやっているからです。以下詳細にコマの内容を見てみます。

  • まず十三コマ目で、るきさんがボールを打つ番であることが普通のフルショットで描写されます。
  • 次の十四コマ目にボウタイのアシンメトリーが邪魔でボールが見えないという、るきさん目線の俯瞰の主観ショットが入ります(このコマを見た時点で「え?」っと思います)。
  • 次の十五コマ目は「えーい、これでどうだっ」とカコンとボールを打つカットが後姿から捉えた顔のアップだけで描写されます。
  • 最後の十六コマ目でボウタイを首の後ろに回してボールを打っていたことが後姿のミドルショットでわかります。

この一連のコマ割の流れはかなり暴力的で挑戦的で実験的です。十六コマの内、十三コマまで普通にロングの客観ショットなのに、急に十四コマ目にるきさん視点の主観ショットが入るのです。さらに十五コマ目には次に描かれるべき(ボウタイを後ろに回す)アクションが省略されて、最後の十六カットで「あーなるほどね」と省略されたアクションを脳内補完させる作りなのです。これはいつも漫画を流し読みする頭の悪い僕には一瞬何が起きたのか分からない作りです。たぶん普通の人ならここは十五コマ目に180度ボウタイを首の後ろに回転させるアクションを描くと思うのですが、高野さんは違います。そんなの最後の十六コマ目のオチを見れば分かるよね?という感じで省略してしまうのです。何を描いて何を描かないかという点に作家の才能のセンスが光りますが、高野さんは視点の描写にしてもアクションの省略にしても読み手の予想の一歩斜め上を行く独特なセンスの持ち主なのです。 

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るきさん』第4話の13~16コマ抜粋 ©高野文子 筑摩書房

続く『棒がいっぽん』は川又さんの言う“マザーシップのような天才”がいよいよ姿を現した傑作とでも呼ぶべき申し分のない作品集です。特に素晴らしいのが表題作になる『奥村さんのお茄子』です。僕はこの漫画を「コミックアレ!」創刊号で読みました。読むには読んだのですがこの単行本に掲載されている『奥村さんのお茄子』は、表紙以外全て書き直されたものだということを後で知ってまたショックを受けました(なぜすぐ気付かない...)。「コミックアレ!」の初出時点でもかなり完成度の高い傑作だったのに、それを全て書き直しているのです。ちょっと完全主義にも程があるというか、そういうことをサラっとやってできてしまう筆の速さというか。興味のある方は初出版が雑誌「ユリイカ」2002年7月号の高野文子特集に掲載されていますので比較してみてください。読後感はほぼ同じなのに絵も話も微妙に変わっています(全て書き直しているので当然ではありますが...)。

この作品では“うどんのビデオテープ”で過去の出来事を見るという高野さんの独創的すぎる発想の発明により、これまで以上にいろいろな角度からモノを見る複数視点変幻自在ぶりが堪能できます。


続く『黄色い本』は完成された『棒がいっぽん』の絵柄を捨てて、さらにアニメーションの原画のような勢いのある走った絵にスタイルが変化した漫画表現の極北とでもいうべき妄想と現実の複数視点が融合した傑作です。川又さんの言う予言二十年目にして成就された作品ともいえます。そして最新作の『ドミトリーともきんす』もさらに『黄色い本』のスタイルを捨てて次の新たな絵柄に挑戦しています。

さらに今年発表された二ページの谷崎潤一郎とのコラボ漫画である「陰翳礼讃」では墨絵の絵巻物のような筆致で厠を短冊のようなフレームに模して描く、もはや脱漫画とでもいうべき表現の領域に踏み込む大胆な挑戦をされています。

作品毎に自分の築いてきたスタイルを壊してさらに進化していくというのが巨大なマザーシップのような才能を持つのが高野さんの魅力です。

 

 

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*1:月刊スターログ 1982年 4月号