アンソニー・マン/フィルム・ノワール(仮想)映画祭: 第二夜
ようこそ。アンソニー・マン/フィルム・ノワール(仮想)映画祭: 第二夜へ。
今夜は1945年ぐらいから流行り始めたといわれるセミドキュメンタリー風ノワールの『Tメン(47年)』とそのセルフリメイクと言われる『国境事件(49年)』をお送りします。
実録っぽいセミドキュメンタリータッチの犯罪物としては翌年の『裸の街(48年)』から後の『フレンチ・コネクション(71年)』までにも連なる系譜といえますし、潜入捜査物としては『男達の挽歌Ⅱ(89年)』や『インファナル・アフェア(2002年)』といった香港ノワールを経由したスコセッシの『ディパーテッド(2006年)』に至るまで直接/間接の影響を与えたともいえるその筋では有名(?)なノワール作品です。
ちなみにスコセッシはマーティン・スコセッシ 私のアメリカ映画旅行 - Wikipediaで『Tメン』(及び『Raw Deal』)をスマグラーの回で取り上げていますので彼が香港ノワールのリメイクである潜入捜査物を撮るという事は、この映画が非局所的に時空を超えて影響した結果と言えるのかもしれません。
『Tメン / T-MEN /(1947年)』
『Tメン』の“T”は“Treasualy Agents”の頭文字でおとり捜査で偽札を追う財務省捜査官の話です。セミドキュメンタリータッチといっても昨今のカメラを揺らしながら現実の被写体を追っかけるといったような一般的なドキュメンタリー的要素は皆無で、単なる実話を基にした普通の劇映画と言って差し支えないかと思います。つまりアンソニー・マンお得意の縦や垂直の構図の固定画面で的確に無駄のない描写を行うB級映画です。
そしてこのアンソニー・マン独特の世界の構築に多大な貢献をしているのが天才撮影監督のジョン・オルトンであるということは前回のお話の通りです。この最強コンビ初のコラボ作品である本作もその大胆な光と影の実験を存分に堪能することができます。
そして何よりこの映画の中で最も印象的で素晴らしいのがサウナシーンです(これに比するサウナシーンは遥か60年後の『イースタン・プロミス(2007年)』まで待たねばなりません)。何故このサウナシーンが素晴らしく、かつホラー映画のように恐ろしいかと言うことに関しては、この光と影の実験の舞台が左右に逃げ場のない縦方向に閉ざされたアンソニー・マン的閉鎖空間だからとまずは考えられます。
仮にこの閉鎖空間をアンソニー・マンとジョン・オルトンが相補的に関係する空間、略して“マン=オルトン相関空間”と称することにしてみます。そしてこの“マン=オルトン相関空間”に一旦人が足を踏み入れてしまうと、人はたちまち蒸気(あるいはスモーク)に取り囲まれて視界を奪われ、カメラによる左右へのパンや自由な移動撮影の選択が禁じられてしまい、縦の構図を維持すべく蒸気の中で逆光を浴びながら文字通り真っ黒な影に変貌してしまいます。そしてさらにある者はこの空間の中で真っ黒な影に取り憑かれたまま蒸気と共に朽ち果て、消滅してしまうのです。
何故この『ザ・フォッグ』のような怪奇現象が“マン=オルトン相関空間”内で物理的に発生しうるのかという点に関しては、この空間が1940年代後半という特定時空のみにしか存在しないロストテクノロジーによって作られたオーパーツの結晶であるため、現在に至っても未だ解明不可能な映画史の謎となっています(“Paintig With Light”というオルトン自身による有名な技術解説書は存在するのですが、その魔術的、夢魔的ともいえる空間自体を再現できた者は未だかって存在しません)。
しかし、まさにこの“マン=オルトン相関空間”から生まれ落ちフィルムに取り憑いてしまった真っ黒な影こそが“フィルム・ノワール”と呼ばれる人心を惑わす実体のないジャンルの実体をなす犯人の正体なのです。
とまぁ、一体何を言いたいのかさっぱりな話になってしまいましたけれど、以下の証拠写真でその大胆な光と影の実験の素晴らしさの一端をご堪能ください。
〈人物を前景に捉える縦の構図〉
〈少ない照明での深い陰影/コントラスト〉
〈霧やスモークの中の逆光〉
〈裸電球での照明効果(トップライト)〉
〈「マン=オルトン相関空間」におけるサウナシーン(点光源)〉
『国境事件 / Border Incident /(1949年)』
『T-MEN』、『Raw Deal』でのめざましい活躍がA級メジャーであるMGMの目に付き、マン=オルトン二人そろって招聘されたのがこの映画になります。物語はあり合わせですませてしまったのか『T-MEN』の財務省捜査官を不正入国を取り締まる国境警備員に変更したセルフリメイク作品です(健忘症気味な僕は言われてみるまで気づきませんでしたけど)。
主役はリカルド・モンタルバンで僕にとっては『カーンの逆襲』のカーンの人です(これも言われてみるまで気づきませんでしたけど)。この人が潜入捜査官になります。
この映画はさすがA 級メジャーというべきかリッチな空撮シーンから始まります。 制作期間と予算に多少余裕があるのか撮影も心なしか落ち着いていますし演出もカメラのパンや切返しといった普通のことも多少やっています。『T メン』のような大胆で実験的な魅力と引き換えに安定感のある洗練された魅力が備わった感じでしょうか。そしてアンソニー・マンの演出にはこの映画から縦方向とは別に垂直方向への嗜好性が見え始めます。冒頭で山の上の見張りが発光信号で合図したり、アクションの舞台となる岩山のシーンがそうです。アメリカ/メキシコ国境という広い屋外を舞台にしているせいか、地形の高低差を利用した演出が増えたせいかもしれません。
主に夜間と屋内を舞台にしたノワールの時代が終わりに近づき、翌年から始まる昼間と屋外を舞台にした西部劇の時代へ移行する過渡期的作品ともいえます。
〈人物を前景に捉える縦の構図〉
〈鏡を使用した人物を前景に捉える縦の構図〉
〈キャッチライトによる目への照明効果〉
〈窓の影と複数の蝋燭による照明効果〉
〈タバコの煙りによる逆光〉
〈懐中電灯による照明効果〉
〈裸電球による照明効果〉
〈ヘッドライトによる照明効果〉
〈バーでの人物を前景に捉える縦の構図や高低差のある構図でのアクション(後の西部劇でも繰り返される)〉
(第三夜に続く)
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