『フリッツ・ラング』鏡の国の冥界の秘密(米時代全検証レビュー)

映画監督に著作権は無くともその刻印は存在します。フリッツ・ラングにおけるはこれ見よがしに演出されるのではなく、さもそこに在る事が当然のような正確さで実務的に対象を反射しています。それはアクション、サスペンス、ロマンスといったジャンルを問わず、ヒッグス場のような目に見えぬ相互作用の場を刻印して一瞬の質量を与えているように見えますが、果たしてそれが意味するものは何か。そこには何かオカルトのように恐ろしい何かが潜んでいるのかもしれませんし、映画製作上の止むに止まれぬ事情によるものなのかも知れません。

ラングにおけるの扱い関してはもちろん多面的なラングの一面をかいま見る一つの側面でしかありませんが、非常に重要な一面でもありますので今回はこの一点に絞って記します。映画を映画たらしめる個人の嗜好と倫理がどのような形を伴って画面に刻印されているのか。の影の秘密、あるいはそのに映る犯人は誰なのか?

それではフリッツ・ラングの映画の中のには一体何が映っているのかを、具体的にアメリカ時代のラング作品から年代順に探ってみましょう。

いやはや映画=ラングは恐ろしい。

 


『激怒/Fury』(1936)

ラングの米デビュー作で、会社の重役に『アメリカ人はシンボルが嫌い』と指摘され(*1)、独表現主義ともサイレント映画的ともつかぬ抽象表現と決別し、シンボルよりも実体を重視するきっかけになったともいえる作品です。この映画ではという実体は使用されていませんが、似たような装置として後半裁判の証拠に採用される映画内映画ニュースが使用されています。その真っ白なスクリーンに反射して映されるのが反=倫理的で嬉々として魔女狩りを行う一般人達です。傍聴席で裁判を見守る一般人達は自らが行った反=倫理的行為に恐怖し、逆に自らが罰として魔女狩りの対象になる証拠を見せつけられます。ここでは傍聴席での倫理的な人々とスクリーン内の反倫理的な人々がスクリーンを介して対称的に描写されます。

尚、これは余談ですが、ここに描かれる一連の事象は、現代においてもフェイクニュースに踊らされ嬉々として魔女狩りを行うも過去ログから個人特定され、社会的制裁を受ける現代SNS事情と同じ構造にも見えます(最近のジェームス・ガンの一件も然り)。  f:id:callmesnake1997:20180829221412j:plain

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映画内映画ニュースで晒される反=倫理的な人々

 


『暗黒街の弾痕/You Only Live Once』(1937)

シルヴィア・シドニーヘンリー・フォンダによる無実の犯罪者による逃避行物です。彼らには安住する家という場はありません。二人の逃避行に用いられるのは車という小さな空間のみになります。そこには弾痕を受けた窓ガラスが布で補修されて冬の風が吹きすさび、食糧や日常品が後部座席に山積みになっています。この車での逃避行にのシーンはありませんが、それ以前のほんの一瞬が登場します。それは『犯罪王デリンジャー』でも盗用された有名な銀行強盗のシーンです。やむにやまれず犯罪者となるヘンリー・フォンダはその雨の日の車のフロントミラーにまるで死神に魅入られるかのように自身の瞳をに反映します。

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銀行強盗シーンでの車のフロントミラー

 


『真人間/You and Me』(1938)

シルヴィア・シドニージョージ・ラフトがお互いの秘密を隠して結婚するラングには珍しいラブコメ(?)です。二人は彼女の家に仮住まいするのですが、彼女は保護観察中という秘密があるので結婚は公にできず、会社規則だと偽って結婚をひた隠す二重生活を強いられます。彼女がシャワーを浴びている時にラフトは手紙の束を見つけ彼女の浮気を疑います。この際彼女の二重生活に疑いがもたれると同時に彼女は鏡に二重映しになります。また、保護観察員が彼女のアパートに監視にきた際も彼女は鏡に二重映しになります。

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シャワールームでの鏡

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保護観察員を欺く際の鏡

 


『地獄への逆襲/The Return of Frank James』(1940)

ラング初の西部劇です。ジェシー・ジェームズの半生を描いたヘンリー・キングの『地獄への道』(1939年)の続編で、兄のフランク・ジェームス(ヘンリー・フォンダ)の後日談を描いた復習譚です。いかにも便乗的な続編企画ですが題材がラング向けという事もあり、こちらの方が遥かに素晴らしい作品になっています。

この映画ではフランクになついている大人として扱われたい少年(ジャッキー・クーパー)が重要な役割を演じます。彼は「ヒゲがはえた」とホテルの鏡に自身の顔をさらします。ラング映画にとって得てして冥界への入り口を示すのですが、ここでに映るのはヘンリー・フォンダではなくジャッキー・クーパーというのが示唆的です。復讐/殺人の罪を犯した反=倫理的な者は死という罰を受けるというのがラング、あるいはアメリカ映画の倫理なのです。

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『西部魂/Western Union』(1941)

今もあるウェスタン・ユニオン電信会社の西武開拓譚です。この映画のクライマックスにはダイナミックで見晴らし良い荒野でも路上でもなく、当然のようにがその背後にある理髪店が選ばれます。そしてその場では、まるで鏡像のように善と悪が対称的な兄弟の運命の対決が行われます。この対決の当然の帰結としてはその対称的な二人を冥界の入口に誘います。

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マン・ハント/Man Hunt』(1941)

ラングによる一連の反ナチプロパガンダ映画の先陣を切るサスペンス映画です。この映画の中で個人的に最も感動的といえるシーンは、ヒットラー暗殺の疑いをかけらるハンターが彼を助ける、あけすけで純粋な娼婦(当然娼婦という事は明示はされていませんが)のために、彼女が失くした帽子のピンを買ってプレゼントするシーンです。ここでウォルター・ピジョンジョーン・ベネットにハート型ではなく矢の形をしたピンを選ぶのが終盤のアクションの重要な伏線となっているのですが、もう一つ隠された伏線は彼女がに向かって自身の帽子とその矢を映して笑顔で振り返るシーンです。純粋な彼女がに自身を映すという行為によって、ラング的ヒロインとしての資格を得、殉教者としての運命を受け入れざるを得ない未来が待ち構えているという事を考えるとその悲劇性に涙せずにはいられません。

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死刑執行人もまた死す/Hangmen Also Die!』(1943)

戦時中に製作された高度に悲=喜劇化された反ナチレジスタンスサスペンスの傑作である本作にもまたは登場します。ゲシュタポの警部がの中の自身の顔のキスマークからヒロインと主人公の芝居を見破るシーンです。哀れな丸顔の密告者同様、このに映された丸顔の死刑執行人もまた冥界に見入られ死す運命にあります。

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恐怖省/Ministry of Fear』(1944)

グレアム・グリーン原作の傑作巻き込まれ型ノワールです。精神病院を退院した男が主人公で悪夢的なスピードでシュールな出来事が次々に発生します。クライマックスで主役のレイ・ミランドが死んだはずのダン・デュリエと壁一面のの前で二重に反映されて対峙します。もちろん反=倫理的なダン・デュリエは二度死ぬ運命にあります。

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飾窓の女/The Woman in the Window』(1944)

本作では洗面台や化粧台はもちろんの事、暖炉周りの壁にまで当然の如く律儀にが配置され、そこに主人公の潜在意識の分身達が反射されています。たとえそれが夢魔的な存在であっても映画を凝視する間だけは物理的に存在する時空間として極めてラング的正確さではその場を刻印しています。エドワード・G・ロビンソンジョーン・ベネット、ダン・デュリエのそれぞれが現実を反射したの国のかりそめの住人である事が明示されます。

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スカーレット・ストリート/Scarlet Street』(1945)

またしてもジョーン・ベネットがヤクザ男(またしてもダン・デュリエ)との交際を隠して真面目中年男(またしてもエドワード・G・ロビンソン)を手玉にとるのですが、この二重生活にふさわしいクライマックスの場としてベッドの左右両脇にが用意されています。そこでは二重に映る運命の女の泣=笑の重ねあった状態から一つの運命が冥界への入り口として確定され、その結果として死体と幻声が残されます。

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『外套と短剣/Cloak and Dagger』(1946)

ゲイリー・クーパー主演の第二次大戦のスパイアクションです。原爆を題材として、非常に重い警鐘を鳴らすようなラスト(脚本は後の“ハリウッド10”のメンバーであるアルバート・マルツとリング・ラードナー・ジュニアなので非常に政治色が強い話だった)を撮影したものの、プロデュ―サーがカットして普通に甘い「俺たちの戦いはこれからだ」的なラストになっています。という事でのシーンは普通にあるものの、珍しくヒロインであるリリー・パルマ―は(大量虐殺に巻き込まれる事なく)生き延びています。

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『扉の蔭の秘密/Secret Beyond the Door』(1948)

水面反射を背景にヒロインの潜在意識がナレーションによって語られる本作では、殺人の現場をのように寸分違わず再現するのが趣味な夫とその秘密の部屋の物語です。ここでも場として暖炉の上のが選択され、そこに映るキャンドルの長さがのようにシンメトリックではないという事が狂信的ともいえる夫によって問題視されます。

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『House by the River』(1950)

 『西武魂』と同じく兄弟を主人公としたスリラーです。本作では不幸な絞殺の犠牲者は浴室のの中に自らを映し、また、殺人現場である階段の下には酒をあおる殺人者の鏡面がそれぞれ対比されており、その運命の結果が冥界への入り口を示します。  

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アメリカン・ゲリラ・イン・フィリピン/アイ・シャル・リターン』(1950)

 第二次大戦のフィリピンでの対日ゲリラ戦を扱った反共(?)アクション映画です。この映画は二十世紀フォックスの注文品で「映画監督だって生きていかなきゃならないんだ!実を言うと少しばかり金が必要だった」(*2)と身も蓋も無い事をインタビューで語ってますね(笑)。という事でウエルメイドなB級アクション映画ではありますが、鏡に映ったシーンや主要登場人物が死ぬ運命にあるといったラング的な刻印は見当たりません。

 


無頼の谷/Rancho Notorious』(1952)

ラングがマレーネ・ディートリヒのために用意した西部劇です。婚約者を殺された主人公アーサー・ケネディが“チャック・ア・ラック”という言葉を手がかりに無頼の谷へ憎しみと人殺しと復讐の旅に出発します。主人公は理髪店にかかっているに一瞬だけそのアクションを反映し、自身の復讐のために反=倫理的な悪党を偽る二重生活を送ります。そして悪党のための宿の女主人であるディートリヒもまた二重生活を送っているのですが、ラング映画のヒロインにふさわしくの前に愛人のメル・ファーラーと共に身をさらします。これで三人とも鏡の国の冥界に足を踏み入れた事になります。この映画の最後に流れる唄はこうです。「“チャック・ア・ラック”を出る二人。死神を従えて。二人はあの日死んだと伝説は伝えてる。弾を込めない銃で戦い、倒れたと。こうして幕は下りた。憎しみと人殺しと復讐の物語」

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『熱き夜の疼き/Clash by Night』(1952)

若い映写技師と漁師中年男と出戻り女によるハードボイルドな不倫三角関係物ですが、ラングの彫刻のように具象化された完璧な演出に圧倒されます。ドキュメンタリー的冒頭から、二度反復する煙草二本に火を付けて渡す動作ですらも感情の差異がのように対称的に視覚化されています。 

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最初はロバート・ライアンが二本火を点けて渡すがグロリア・グレアムはそれを投げ捨てる

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後半ではグロリア・グレアムが二本タバコの火を点けてロバート・ライアンに渡す

 


『The Blue Gardenia』(1953)

本作ではヒロイン襲われる部屋の暖炉の上にがあり、これが火鉢の一振りで破壊されてヒビ割れます(一瞬彼女を強姦しようとした反倫理的な男がに映り、犠牲者となります)。このヒビ割れた鏡の記憶が同僚の化粧鏡のヒビ割れによってヒロインの潜在意識が呼び起こし、自分が殺人を犯したのではないかと疑い始めます。 

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復讐は俺に任せろ/The Big Heat』(1953)

この映画程ラングの暴力表現が際立った映画はありませんが、恐ろしい事にやはりこの映画でものシーンが鏡の国の冥界への入口として機能します。

先ず最初に主人公の奥さんですが、彼女が夫の投げた車のキーをキャッチするシーンでその瞬間が画面左側の割と小さめのに反射されます。この行為によって彼女はラング的殉教者の資格を得、爆弾の仕掛けられた車のキーを回す事になるでしょう。

次はやはりグロリア・グレアムとその暴力的な愛人であるリー・マービンです。熱いコーヒーがお互いの凶器として機能してしまうのですが、彼らもまた鏡の国の冥界の住人としてその姿をの前に晒しています

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『仕組まれた罠/Human Desire』(1954)

ゾラの原作(獣人)ともルノワール版とも異なる結末の本作では、嫉妬深い初老の男とその若い妻とその人妻と恋に落ちる若い機関車の運転士が三者三葉に人間の欲望に陥るのですが、その内一線を越える二人だけが鏡の住人としてその枠内に捕らえられています。 

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『ムーンフリート/Moonfleet』(1955)

後に『軽蔑』(1963)で「ヘビと葬式を撮るぐらいしか向いていない」と嫌味をいっていたラングには珍しいシネマスコープ作品です。ジュブナイル冒険物であり、ムーンフリートとは孤児である主人公の少年の故郷の名前です。スマグラ―であるスチュワート・グレンジャーが過去に少年の母親と関係があった男として「宝島」のジョン・シルバーのように少年を助ける魅力的な役を演じています。この男がラング的な運命の殉教者としての資格が与えられているのは、彼の愛人であるアシュウッド卿夫人(ジョアン・グリーンウッド)の家でそのに身をさらしているシーンからも明らかです。f:id:callmesnake1997:20180904165638j:image

 


『口紅殺人事件/While the City Sleeps』(1956)

ますます映画的純度を増していったラング後期にあたる本作では、不倫社長夫人がその愛人と逢引するアパートで連続殺人絞殺魔に襲われ、その場に何気なく玄関脇に配置されたが、反倫理的な二重生活を送る不倫社長夫人と二重人格的マザコン絞殺魔鏡像を、しっかりとその枠中に映し出しています。 

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『条理ある疑いの彼方に/Beyond a Reasonable Doubt』(1956)

ラングのエッセンスがギュッと80分に濃縮されたアメリカ時代最後の本作では、死刑反対を唱える新聞社社長が作家と共に偽証拠で一度死刑となった後冤罪を勝ち取ろうと計画します。その際二人はの前に立ち、お互いを二重にに映す事でオルフェウスのように冥界への旅立ちを準備します。 

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以上がアメリカ時代の全ラング作品です。如何に個人的嗜好があるとはいえ、まるで自らに課した契約のようにあまりにもに登場人物達が引き寄せられる演出が多いという事に驚きます。そこで次に何故なのかという話なのですが、その真犯人をばらしてしまうと「ヘイズ・コード」の影響というのがその第一容疑者という事になります。

1934年から1968年の廃止に至るまで、50年代にはその威力が弱まるもののラングのアメリカ時代の作品は全て「ヘイズ・コード」の管理下によって検閲されています。詳しい事は「ヘイズ・コード - Wikipedia」を参照頂きたいのですが、窃盗、強盗、殺人、強姦、絞首刑、犯罪者への同情、残酷なシーンといったラングが主に扱ってきたノワール的な題材に対して多くの細かい禁止や注意事項が張り巡らせれています。これらラングの嗜好はヘイズオフィスの恰好の的になっていたと想像に難くありません(実際前掲のラング本において、ささいなセリフの一つでもヘイズオフィスの横やりが入るエピソードが語られています)。そこでここからはちょっとオカルト的な考察になるのですが、ラングは以下の呪術的な法則に則り、ヘイズコードの呪縛を回避します。

まずラングはヘイズコードに抵触しそうな人物をまずに映して二重に分裂させ、冥界への入り口へ誘います。この冥界は煉獄のような緩衝地帯で、天国へ行くか地獄に落ちるかは確定していません。次にその反=倫理的な犯罪者、あるいは罪のない殉教者、あるいは犯罪の被害者、に死をもたらします。これは「ドッペルゲンガーに会うと死ぬ」とか「メデューサを見たら石になる」とか「貞子を見たら7日以内に呪いのビデオを回さないと死ぬ」とかと同様に「フリッツ・ラングの映画で鏡に映る者は死ぬ(か酷い目にあう)」というのが『死滅の谷』(1921年)より連綿と続くラング映画の登場人物の運命として適用される法則の帰結なのです。

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『死滅の谷』(1921年)では壁が鏡の代りに冥界への境界となる

「私は残酷、不安、恐怖、そして死に深く魅了されている。私の映画は暴力への没頭、暴力の病理学を示すものだ」とラング自身が語っているように、を通して冥界=煉獄を通過したラング映画の登場人物は死を持ってその罰を受ける、あるいは逆に殉教者的な安息や救いを得るのです。まぁ、ラング映画の登場人物は大概死んでいるので、確率的にに映る人が死ぬ場合が多いという見方もできますが、やはりそれだけでは説明できないラングの脅迫観念的ともいえる一貫して倫理的な原理主義が感じられます。いやはや映画=ラングは恐ろしい!

 

以上、『フリッツ・ラング』~ 鏡の国の冥界の秘密(アメリカ時代の全検証レビュー) でした。

 


*1:『映画監督に著作権はない』 (リュミエール叢書) 筑摩書房 フリッツ ラング (著), ピーター ボグダノヴィッチ (著),井上正昭(訳)

*2:同著