アメリカ映画はいつから衰退しはじめたのか?
昨今劇場にかかっているアメリカ映画の超大作の大半があまりに安全すぎて退屈だという現実的な問題の根本原因が一体どこにあるのかと遡って考えてみますと、そこには1980年の『天国の門』という一人の完全主義者の芸術家による野心的で壮大な失敗作に辿り着きます。
現在のあらゆる観客層に程よくマーケティングされ、ありとあらゆるリスクというリスクをヘッジされた保険の影がちらつく安全で退屈なアメリカ映画(特に〇ィズニ―とか〇―ベルとか)の超大作を見るにつけ、なぜこんなブロイラーの餌のような飼料(食べたことないので想像ですが)ばかりが提供されるのかと疑問に思う事が多いのですが、それもこれもその不幸の元凶が1980年の『天国の門』という映画の影響なのですからその呪縛と呪いの根の深さは尋常ではありません。
現在のアメリカ映画はその早すぎる隠居生活をつい最近静かに終えてしまった20世紀末を代表する巨匠、マイケル・チミノ(1939年2月3日ー2016年7月2日)の『天国の門』の呪縛と呪いから、未だ開放されてはいないのです。
それではなぜ1980年以降、(たとえそれが壮大な失敗作であっても)『天国の門』や『地獄の黙示録』のような一人の芸術家による野心的で壮大な超大作がアメリカ映画から奪われてしまったのでしょうか?。
この件に関してフランシス・フォード・コッポラが2001年のカンヌ映画祭でのインタビューでアメリカ映画黄金期の終焉に関していみじくも以下のように語っています(*1)。
質問者:ここ20年来スタジオは野心が失せ用心深くなりこの様な作品を製作しなくなった。同意するかい?
コッポラ:私は『天国の門』までだと思う。この作品がきっかけでスタジオは監督に圧力をかけるようになった。製作費にまったく制御がきかなくなり、監督たちは傲慢で報酬も高すぎると思われる様になった。皮肉な事にこの金融界の反乱後に映画の製作費は従来よりも遥かに高騰した。『地獄の黙示録』はたしか3千2百万ドル。今日でいうと...
質問者:『ハムナプトラ2』より安い。
コッポラ:『地獄の黙示録』が4本撮れるよ。だが監督の立場が弱くなった事が最も大きい。逆にスタジオの重役たちが突然偉くなった。年収4千万ドル稼ぐほどにね。理解に苦しむほどの凄い影響力だ。そしてクラシックが作られなくなった。四半世紀後も見られるような作品がね。こういった作品は真に監督たちが生み出したものだ。
監督対スタジオ幹部、芸術家対資本家達。ローバジェットを得意とするスマグラーならいざ知らず、多額の出資が伴うコングロマリットによるアメリカ映画の超大作に関しては、単純に考えると(実際はコッポラの言うほどそんな単純な話では無いのでしょうけど)一人の芸術家ではなくバックにそびえるスタジオと金融界が主導権を握り続けているということになるのでしょう。
特に『天国の門』におけるこの主導権争いの問題に関しては、一人の映画監督とスタジオ幹部の壮絶な戦争の記録としてスティーヴン・バック著「ファイナル・カット―『天国の門』製作の夢と悲惨」(*2)に詳細に記されておりますのでぜひそちらをご参照頂ければと思います。完全主義者の芸術家によってジョンソン郡のように無政府状態に陥ったファイナンスの危機に対して、チミノをクビにしてデヴィッド・リーンを後釜にすえようと画策する話や、リスケによるクビの危機を察知したチミノが「クリント(イーストウッド)を呼んでくれ!僕にも早い仕事は出来るんだ。(『サンダーボルト』で)56場面を1日で方づけた ー 56の場面だ!」と激高する話等、生々しい暴露話が詳細に記されています。
つまり一人の傲慢な芸術家によって映画製作会社(皮肉にもUA=“ユナイテッド・アーティスツ”という名前です)が倒産させられるという最悪の状況に陥らないためにも金融界の主導権が続くという『天国の門』の呪縛と呪いが現在に至るまで続いている訳で、“芸術家の集まり”の代わりに“金融屋の集まり”が台頭する境界のきっかけが1980年の『天国の門』騒動であり、そこからアメリカ映画の黄金期の終焉とその衰退が始まったと考えられるのです。
しかし、マイケル・チミノが少しでもフランシス・フォード・コッポラ並みの戦略的操作を行っていたとしたら、このような誰もが不幸になる現実が訪れることもなかったかもという可能性もあるのですが、そのような知的な戦略操作とは無縁な妥協の無い愚鈍な壮大さが『天国の門』の魅力であり、その不幸な運命を回避できたかどうかは今となっては誰にもわかりません。
現にその知的な戦略操作に長けたコッポラでさえも、その先読みの戦略によって自身の製作会社を破産(*3)に追い込んでしまうのですから、いずれにせよ芸術家と金融界の蜜月の崩壊は時間の問題だったのかもしれません。
とは言いもののそうした罪深い呪縛と呪いの負の連鎖の話はひとまず置いといて、作品としての『天国の門』はコッポラの言うところの四半世紀後も見られるクラシックたり得ている美しい作品です。
今ならディレクターズカット商法(*4)によって多少名誉回復の機会も可能であったのかも知れませんが、当時は『地獄の黙示録』のように自身のファイナンス(自宅を抵当にした)によって2年も編集期間を設ける事無く、興行上の理由によりその上映時間は149分に短縮され、さらに現実と映画の区別もつかない無能な評論家による不当な批評や政治的な時代性の噛み合わせの悪さも相まって、この魅力的な壮大な失敗作が完膚なきまでに抹殺されてしまったのですから大変不幸な映画史上の災厄であったという他ありません。
巨匠マイケル・チミノ、その少な過ぎるフィルモグラフィー
美男美女、主に男性二人を主人公にし、
センチメンタルな音楽が絶えず流れ続け、
冠婚葬祭の描写に時間を割き、
最後は二人の男のどちらかが死に(主人公でない場合が多い)、
壮大な大自然の風景(空とか山とか海とか湖とか)により救いがもたらされ、何だかよく分からないスピリチュアルな詩情を持って終わる。
【脚本】
『サイレント・ランニング Silent Running(1972年)』(※デリック・ウォシュバーン、スティーブン・ボッコとの共同)
『ダーティハリー2 Magnum Force(1973年)』 (※ジョン・ミリアスと共同)
【監督】
『サンダーボルト Thunderbolt and Lightfoot(1974年)』
わずか47日間で撮影され、『ダーティー・ハリー2』に続いてクリント・イーストウッドに認められた新進気鋭の映画監督というのが20世紀終盤を代表する巨匠マイケル・チミノの華々しいキャリアの始まりです(すぐ華々しく散ってしまいますが...)。
アクション映画というよりはイーストウッドの牧師姿やジェフ・ブリッジスの女装姿のコスプレも楽しいロードムービーであります。
この処女作の時点で二人の男を主人公とし、美しい湖面を背景に語り合うシーンがあり、主人公以外がほとんど死んでしまい、美しい雲と青空の下で破滅型の男の友情を描くチミノ的な特徴の萌芽が見られます。
『ディア・ハンター The Deer Hunter(1978年)』
二作目にして当初予算をオーバーし、三時間を超える大作を作ってしまう大物振りを発揮し、スタジオの上映時間短縮命令から映画を守り抜いて最終的には大成功を収めた若き天才の才気ほとばしる作品です。
若きロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケン、ジョン・カザール、ジョン・サヴェージ、メリル・ストリープによる青春群像劇で、前半の結婚式が全体構成からみるといびつなまでに長いのですが、その点こそがこの映画の魅力と思わずにはいられません。
後半のロバート・デ・ニーロとクリストファー・ウォーケンの二人の破滅型の男の友情物語がラストの大自然によって救いがもたらされるのがなんともチミノ的でセンチメンタルな映画です。この1978年当時の映画界の頂点ともいうべき大成功を担保として才気溢れる期待の大型新人監督マイケル・チミノの快進撃がその後始まるはずだったのですが・・・。
『天国の門 Heaven's Gate(1980年)』
ラフカットの五時間半バージョン(戦闘シーンだけで一時間半あったとか)はさておいて、現在見れる219分バージョンでも充分にその妥協の無い壮大な美しさを堪能できる非常に志の高い失敗作です(最終的には149分で劇場公開されたが興行はギネスに載る程の惨敗)。
企画当初の750万ドルの見積もりがアカデミー賞を取れる叙事詩を目論んで1160万ドルで制作開始となり、その制作費が最終的に約4400万ドルに膨れ上がり、老舗のUAを身売りに追い込んだのは前述の通りですが、そのUAの幹部もこの映画の美しさを認めざるを得なかったというのもこれまた前述のスティーヴン・バックの本の通りです。そしてさらに数あるヴィルモス・スィグモンド(1930年6月16日ー2016年1月1日)の素晴らしい仕事の中で、彼の代表作とも言える繊細な撮影がこの壮大で野心的な“デビッド・リーンが西部劇を撮ったような美しさ”に貢献していることは言うまでもありません。
この映画により期待の大型新人マイケル・チミノのキャリアは抹殺され、その評価は前作の(コッポラによって授与された)アカデミー監督賞から本作のラジー賞監督賞に至るという手のひら返しで地に堕ちる訳ですが、アメリカ映画最後の超大作としての地位は未だ破られる事なく、というか偏見の無い現在だからこそアメリカ映画最後の頂点の輝きを冷静に曇り無く見つめる事ができるのではないでしょうか。
『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン Year of the Dragon(1985年)』
とにかく派手好きで大作志向なディノ・デ・ラウレンティスの製作により5年ぶりに復活を遂げたチャイニーズマフィアを題材とする異文化衝突刑事物です。
ミッキー・ロークとジョン・ローンという当時の二大イケメン(?)が『ブラック・レイン(1989年)』のマイケル・ダグラスと松田優作の如く激突します。前二作の野心的で壮大な作風は影を潜め、ウェルメイドでバイオレンスな娯楽作に徹した感じではありますがシネスコサイズに広角に捉えられたチャイナタウンでのダイナミックなカメラワークや、センチメンタルで始終鳴りっぱなしな音楽や、葬式で始まり葬式で終わる構成等、チミノ節がダイジェストのように堪能できる作品です。
『シシリアン The Sicilian(1987年)』
『ゴッドファーザー』のマリオ・プーゾ原作ですが、マフィア同志の血で血を洗う抗争劇ではなく、マフィア、貴族、農民とそのどこにも属さない義賊的な山賊であるサルヴァトーレ・ジュリアーノに関するフランチェスコ・ロージの『シシリーの黒い霧(1961年)』と同題材の伝記的メロドラマです。クリストファー・ランバートとジョン・タトゥーロの男二人に公爵夫人のバルバラ・スコヴァと恋人役のジュリア・ボスキが美しく華を添えます。劇場公開の115分に対して140分のディレクターズ・カット版がソフト化されていますが、それでも短すぎると感じてしまいます。
美男美女の役者に鳴りっぱなしのデビッド・マンスフィールドの音楽(奥さんは『天国の門』で自身の製作なのに途中でクビになったジョアン・カレリで本作も彼女の製作)、さらには『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』同様、撮影監督アレックス・トムソンのダイナミックで繊細なカメラワークが堪能できます(侯爵邸や大聖堂で見られる堂々とした縦の構図が素晴らしいです)。
『逃亡者 Desperate Hours(1990年)』
再度ディノ・デ・ラウレンティスの製作とミッキー・ロークの主演による『必死の逃亡者(1955年)』のリメイク作品です。
アンソニー・ホプキンス演じる離婚危機のお父さんが家族のために知能犯の設定だけど全く知能犯に見えない危ないミッキー・ロークと対決します。
ウェルメイドな娯楽作品としてあまり顧みられる事のない作品ですが、しっかりとチミノ的な刻印は示されています。
元は舞台劇なので室内シーンが主になるはずなのですが屋外で人が死ぬシーンばかり生き生きとした演出になっています(特に渓谷のシーン)。
105分という非情に引き締ったサスペンス映画でチミノ史上最短上映時間となり、ウェルメイドで普通の映画も撮れるという事を示した一方で、何でこれをチミノで?というチミノ度は薄めの物足りなさは残ります。
『心の 指紋 The Sunchaser(1996年)』
処女作の『サンダーボルト』以来のロードムービーです。ウディ・ハレルソンの医者とジョン・セダの患者と車一台だけというロッセリーニの『イタリア旅行』並に質素な映画ですが最後まで見るとその質素さが伏線に思える程センチメンタルで泣ける(『ストロンボリ』や『モーゼとアロン』のように)美しいラストが待っています。
これも処女作の『サンダーボルト』と同様、チミノ的な特徴をほとんど備えた映画です。
このレクイエム的な内容の映画が残念なことにチミノの最後の長編作品ということになってしまいました。
この当時次回作と言われていた「リチャード三世」は結局実現化される事は無く、21世紀にわずか一本の短編(『翻訳不要 No Translation Needed(2007年)』 - オムニバス『それぞれのシネマ』の一編)を残したのみで巨匠マイケル・チミノの少な過ぎるフィルモグラフィーは終わります。