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『遊星からの物体X(1982年) 』 ~ジョン・カーペンターが奏でる戦慄の旋律と恐怖の黙示録① (ハワード・ホークス編)~

1982年のターニングポイント

どうみてもコメディなのにたいして笑えないタランティーノの『ヘイトフル・エイト(2015)』の話はどうでもいいとして、その元ネタであるジョン・カーペンター(以下ジョンカペと記す)監督の傑作『遊星からの物体X(1982)』について書いてみたいと思います(この映画は自称「黙示録三部作」の一作目と言われています)。

この映画は1982年の公開です。より正確には1982年6月25日にアメリカで公開されました。この公開日付はとても重要です。なぜかというと遡ること二週間前の1982年6月11日、当時の映画史上最大のヒット作ともいえる『E.T.(1982)』が公開されていたからです。
つまり宇宙人性善説に基づくハートフルなSFファンタジーが老若男女含めて社会現象的にヒットしている最中に、古典的で全く救いのない残忍な宇宙人侵略映画が公開されてしまった訳です。
この正反対の宇宙人映画の興業結果は火を見るより明らかでした。物体Xは製作費すら回収できない大コケとなり、監督のジョンカペは業界人にクズのように扱われ、ユニバーサル映画から次回作の予定だった『炎の少女チャーリー』をクビになってしまいます(物体Xの制作費は$15,000,000 、E.T.はその三分の二程度の$10,500,000でどちらもユニバーサル映画の製作/配給でした)。

一方スピルバーグ(以下スピと記す)は前年に立ち上げた自身の製作会社アンブリンを母体としてハリウッドメジャースタジオでの地位を固め、A級路線の一流監督として多数のプロデュース作品含め自身の映画帝国を広げていきます。

ジョンカペはその後、失意の内に特に思い入れのない低予算の『クリスティーン(1983)』(傑作ですけどね!)を作った後に『スターマン/愛・宇宙はるかに(1984)』のようなハートフルな映画を製作するも時既に遅し、独自のB級路線を突き進まざるを得ない境遇に陥ります。

この頃の心境に関してジョンカペは以下のように語っています*1

 『E.T.』のメッセージは『遊星からの物体X』の正反対だった。あのときステーブンは言っていた。「観客は、元気を出させてくれる映画を求めている」と。いやー彼の言う通りだったよ。彼が目先の利く商売人だってことがこれでわかる。

いやーすごい皮肉ですね。いまだに根に持ってますね、絶対。またこんなことも言ってます。

なにもジャン=リユック・ゴダールのようになろうとした訳じゃない。(中略)かといってスティーブン・スピルバーグにもなれなかった。自分以外のだれにもなれはしなかった。

かなり開き直ってますね。うぅ、可哀想なジョンカペ。僕だけは認めてあげようという気持ちになります。他にも"デヴィッド・リーンが『ライアンの娘』を撮った時、彼に何が起きたのかいまでは理解できる"とか、"業界の連中にクズのように扱われ、犬と一緒に寝っ転がっているのがお似合いだった"とか、文句タラタラです。かなりのトラウマだったんでしょうね。こうも言ってもます。

 あれがうまくいっていれば、私のキャリアは違うものに、まったく違ったものになっていただろう。

つまりこの1982年6月という公開時期がアメリカ映画を代表するであろう才能ある若き二人の映画作家の未来が大きく変わった年なのです。というのも、この同世代のアメリカ人映画作家にはライバルとでもいうべき下記のようないくつかの共通点がありました。

  1. 子供の頃からの8ミリ映画製作から出発し、短編映画で高い評価を得た。
  2. 東海岸の大学で映画を専攻して、同じ年に長編映画デビュー。
  3. ハワード・ホークスの影響を強く受けていた。

1.に関してはジョンカペは8歳の頃から8ミリ映画を撮り始めて、学生時代の短編映画『ブロンコ・ビリーの復活』で1970年の第43回アカデミー賞で短編実写映画賞を受賞しています。

スピも子供の頃から8ミリ映画を撮り始めて、1968年に自主映画の短編『アンブリン』で認められユニヴァーサルとテレビ映画の監督として契約しています。

1970年前後という撮影所システムが崩壊した時代では、映画監督になるには優れた短編を撮って実力を示すしか道がなかったと考えられます。

2.に関してはジョンカペは名門南カリフォルニア大学UCLA)映画学科卒です。スピはUCLAを落ちたのでカリフォルニア州立大学ロングビーチ校にて映画を専攻(TV監督になるので中退)しました。

ジョンカペは学友のダン・オバノンらとともに大学時代の短編作品を4年かけて長編リメイクした『ダーク・スター(1974)』でデビューします。

一方スピもユニヴァーサルでのテレビ3本(『激突(1971)』含む)を経て、同じ1974年に『続・激突カージャック(The Sugarland Express, 1974)』で映画デビューします。コッポラ、ルーカスに続く映画学校出身の新しい波の世代といった感じです。

3.に関してはジョンカペはオールタイムベスト10に以下の4本を選ぶほどのホークス好きです(『コンドル(1939)』、『リオ・ブラボー(1958)』、『赤ちゃん教育(1938)』、『暗黒街の顔役(1932)』)。

一方スピも『ジョーズ(1975)』(虎鮫)、『未知との遭遇(1977)』(遊星よりの物体X)、(『ジュラシック・パーク(1992)』(赤ちゃん教育)、『ジュラシック・ワールド(1997)』(ハタリ)といった様々な自分の作品にホークスへのオマージュを刻印してきたほどのホークス好きです。

そして二人が影響を受けた映画が本作のオリジナルである「遊星よりの物体X(1951)」ということになります。ジョンカペは4歳の時に映画館でこの映画を見てショックを受けたと語っています。スピも『未知との遭遇(1977)』の元のタイトルを本映画の有名なセリフ「Watch the sky」にしようとしていたほどこの映画のファンです。

 つまりホークスを見て育った8ミリ映画少年が1974年に映画デビューしてその8年後の1982年に決定的なキャリアのターニングポイントを迎えたということになります。

またこの1982年という年はトビー・フーパーが雇われ監督として『ポルターガイスト(1982)』でスピに奉仕させられた年でもありました。ポルタ―ガイストはE.T.と同時期に制作が進められたためフーパーに監督を任されましたが実質スピ作品といわれています。ジョン・カーペンターとトビー・フーパーという二人のホラー/B級映画界の巨匠ともいうべき優れた個人映画作家がスピルバーグというハリウッドの強大な商業主義の前に屈せざるを得なかったという象徴的な出来事が起こったのがこの年といえるでしょう。

そのターニングポイントを決定づけたのがホークス製作の「物体X」のリメイクです。この映画はそういう罪深い作品なんですね。幸か不幸か。


「音楽 ジョン・カーペンター」...ではありません

前置きが長くてすいませんがこの映画のクレジットはいつものジョンカペ映画と違う事に気付きます。「主演 カート・ラッセル」に続く二番目のクレジットはなんと「音楽 エンニオ・モリコーネ」なのです。

これまでのジョンカペ作品はは予算の関係かアーティステッィクな衝動なのか、おそらくはその両方だと思いますが自分自身で音楽を担当しています。

たいていはチープなシンセ音の反復音楽なんですが、映画音楽としては申し分のない魅力的な音楽を作る人です(子供の頃からバイオリンでオーケストラに参加したり、学生の頃はバンドを組んだりして音楽活動を行っていたそうです)。

今回は初のメジャー作品ということもあって自分の大好きな映画音楽界の巨匠であるエンニオ・モリコーネを呼ぶ予算があったんでしょうね。

でも印象的なタイトル曲はどう聞いてもジョンカペ節(♬ベンベン、ベンベン...)です。このタイトル曲、作曲自体はモリコーネなのだそうですが音が多すぎるので音を減らして自分の作風に寄せて作ってもらったとか。なんとも巨匠の無駄使いというか個性が強すぎるというか、困った人ですね。

その他、見事なオーケストレーションを聞かせてくれる部分はモリコーネだとわかるのですが、所々にチープなシンセ音の効果音的な部分が聞こえてきます。ここはやはりジョンカペ自身が画面に合わせて音を付けたそうです。

このスケアリームビー独特の効果音と音楽はジョンカペ映画の魅力の大きな一つです。アクション(ホラーの場合は急に化け物が現れたり、殺人が行われるシーンだったり)とシンクロするショッキングな高音の効果音、サスペンスを持続させるための低音の反復リズム。これらの画面とシンクロする音楽の純粋で透明な独特の映画世界の構築はジョンカペ特許の発明品ではないでしょうか。この感性は巨匠スピルバーグでも絶対に敵わない才能です。

(注:以下ネタバレです)


ガジェットとしてのヘリコプター

タイトルの後、この映画は真っ白な山脈の向こうからノルウェー人のヘリコプターが(犬を追って)飛行してくるシーンから始まります。

吹雪で無線も通じない南極の閉鎖された空間に舞い降りるヘリコプター

どうもどこかで聞いたようなシチュエーションです。

ニューヨークのマンハッタン島を刑務所とする閉鎖された空間に舞い降りるヘリコプター

って、まんま前作の『ニューヨーク1997(1981)』と同じシチュエーションのオープニングではないですか。好きなんでしょうね、こういうの。まぁ、この閉鎖された空間というシチュエーション自体は西部劇で敵に取り込まれて籠城する保安官事務所みたいなもので、これもやっぱりホークスの『リオ・ブラボー(1959)』の設定からきていています(さらにその現代版リメイクが『要塞警察(1976)』です)。

カート・ラッセルはヘリの操縦士の設定ですので、この後何度もヘリのシーンが登場します(最終的にこのヘリの部品は宇宙船に作り替えられるトンデモ設定になりますが)。

ちなみに『スターマン/愛・宇宙はるかに(1984)』でも15機ものヘリを使ってアクションシーンが撮られています(キャメラを載せて自分で飛んだこともあったとか)。映画のサスペンスやアクションを持続させるガジェットとしてヘリは使い勝手がいいんでしょうね。ジョンカペはその後「チキンホーク」というベトナムヘリコプターの話も企画したそうですが実現しなかったようです。好きなんでしょうね、ヘリコプター。


火炎放射器と消火器

物体Xが初めて登場するのは序盤の犬小屋の衝撃のシーンになります。このシーンは屋内ですがとても暗い照明です。撮影のディーン・カンディと特殊メイクのロブ・ボッティンとの間ではどこまで画面を暗くするかで言い争いが絶えなかったそうです。画面を暗くしないと物体Xが作り物であることがばれてしまいますからね。かなり画面を暗くして懐中電灯の光で物体Xが部分的に見えたり見えなかったりという演出もやっています。このシーンの異様さは照明の暗さによってさらに引き立っているといってよいでしょう。現在だとこういうモンスターのシーンはCGになると思いますが、たとえ今日のCG技術を持ってしてもこの雰囲気は出せないのではないかと思います。

この残忍なシークエンスは火炎放射器によって決着がつきます。火炎放射器→消火器で消す→スモーク発生→スモークによる懐中電灯の逆光が映える、という美しい撮影/照明効果をみることができます(スピもE.T.含めスモークの中の懐中電灯の逆光は多用してますね)。

物体Xは拳銃ではなく火炎放射器によって退治されることになりますが、血液テストのシーン等で火炎放射器を抱えるカート・ラッセルは心なしかライフルを抱えるジョン・ウェインのように見えます(肝心な時に役に立たなかったりするところがまたうまい演出で、緊迫した状況なのに笑えるクライマックスのツボです)。

ちなみに劇場公開時に私の前に座っていた女性二人組はこの犬小屋のシーンでスクリーンから顔を伏せてしまい、かわいそうにその後ほとんど正視することなく二時間拷問に耐えて劇場を後にしていきました。この映画に対して当時の観客の反応が非常に否定的でいかにジョンカペが糾弾されたかという話はそれはそれでしょうがなかったのかなという気もします(僕は続けて二回みました。当時は入れ替え制がなかったので)。


発煙筒とダイナマイトのアクション

もうひとつ印象的なガジェットは発煙筒です。後半はずっと夜のシーンになるので真っ白な雪の中で美しいパナピジョンのカメラに映えるレンズフレアを見せて輝く発煙筒は、夜の屋外の必須アイテムかのごとく多用されていて素晴らしい効果を上げています。

この映画のクライマックスともいえる血液テストの前のシーンでも武器庫のダイナマイトを右手に、発煙筒を左手抱えてカート・ラッセルが同僚を脅すシーンにも使われています。ここのダイナマイトがラストのブレアモンスターとの対決の伏線になっています。で、このダイナマイトがどこから出てきたのかというと、これもやっぱりホークスの『リオ・ブラボー(1959)』からということになります。どんだけホークス好きなのジョンカペ、という感じなのですが、ホークス作品のリメイクなのでこれはいわば必然的な対決方法だと言えます。

さらに対決後のオチが強烈に絶望的です(セリフはカート・ラッセルが考えついたものだとか)。単なる懐古趣味ではなくオリジナリティがある捻ったラストになっています。

最後は”JOHN CARPENTER’S THE THING”と再度表示されてエンドクレジットが流れ出します。

♬ベンベン、ベンベン、ベンベン(以下反復)・・・

 

 

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*1:恐怖の詩学 ジョン・カーペンター(2004年 フィルムアート社)


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